友人の死以降生きる意味が分かりません
先日、友人が20代前半という若さで亡くなりました。
彼女はとても優しくかわいらしく、誰からも好かれるような人でした。
就職して仕事も順調、将来を約束した彼氏もいるという順風満帆に見える人生で突然の事故で亡くなりました。
彼女を知る友人や知人は、皆どうして彼女がと嘆き悲しんでいます。
一方私は、すぐに死にたいと思ってしまうような弱いだめな人間です。
彼女の死以降、「死にたいなんて思っては、生きたかったはずの彼女が救われない」と思い直し少なくとも口に出さないようにはしていますが、やはり心の奥底には日々、死にたいという気持ちが存在しています。
どうして死にたがりの私ではなく彼女が先に死ななければならなかったのか不可解でなりません。
私が死ねばよかったのにと何度も何度も思ってしまいます。
それは仕方のないことだと言われてしまうかもしれませんが、どうしても自分の中で納得がいかないのです。理不尽に思えてなりません。
このような理不尽で救いのない世の中で私たちはどのようにして生きていくべきなのでしょうか。こんな世の中で生きる意味とは何でしょうか?
また、よろしければ何に救いを求めて生きたらいいのかご教授いただければ幸いです。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人の命と、あなたの命は、それぞれのもの。重ねなくていいのよ。
人には、それぞれの人生があります。
若く亡くなる人がいると、まだ生きたかっただろうにと思うでしょうが、その人の命と、あなたの命は、それぞれのものです。比べることなどできないものよ。
あなたが、自分と引き換えに、想いを重ねる必要はないのですよ。
あなたのプロフィールを読ませてもらいました。ずっと悩んできたのね。一人で抱えてきたんだね。生きていくのが辛くて、死にたいって。死んでしまう方が、ラクになれるんじゃないか、今の苦しみから抜け出せるんじゃないかって、ずっともがいてきたのね。
それがどれほど苦しいことだろうかと思うと、そばにいてあげたいよ。
周りの反応や影響に、大きく揺らされてしまうのではないかしら。そのたびに、自分はどうなんだろうかと考え過ぎてしまうのではないかしら。それは、あなたの良さでもあるし、一人では抱えきれないときは周りに手を伸ばしてもいいのよ。一緒に話していけたらね。見方や考えも広がっていくわ。
いつだってハスノハも利用してくださいね。あなたは、ひとりじゃないんだよ。
質問者からのお礼
中田 三恵様
吐き出すようにして書いたこの文章を受け止めてくださり、優しいお言葉をかけて頂いて本当にありがとうございます。お返事が遅くなり申し訳ありません。
人の命とあなたの命はそれぞれのものというお言葉とても心に響きました。
私は私として生きていいのだとハッとしました。当たり前のことなはずなのに見落としてしまっていたのかもしれません。
辛い事象にだけでなく私自身の性格についてまで気にかけてくださったこと本当に有難く思います。
辛い気持ちは完全には消えはしませんが、hasunoha含め周りの人を頼って私の命を全うしたいと思います。
上手くお礼を伝えられないのがもどかしいですが、中田ご住職様のお言葉に本当に救われました、ありがとうございました。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
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(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )