友人を助けたいと思うのはお節介でしょうか
恋人にお金をせびられ、言われるままに渡しては「またお金を貸してしまった」「必ず返すとは言ってくれるけど詐欺かもしれない」と苦しんでいる友人がいます。
私はその話を聞いて以来「そんなにつらいなら連絡を絶ってお金を貸すのもやめた方がいい」「詐欺かもしれなくて不安なら専門家に相談しよう」と何度も言っていますが、何を言っても「あなたは第三者だからわからないんだ」「彼のことが本当に好きだから彼を悪く言われたくない」と言い、「もし詐欺だとしても好きだから構わない」とまで言うようになりました。
こんな風に言っている友人に私がこれ以上何を言っても無駄な気がしますし、第三者が立ち入る問題ではないのかもしれませんが、恋人にお金を渡すために借金したり仕事を掛け持ちしたりと無茶をしながら苦しい、つらい、不安だと悩むのを放っておくこともできません…
お互い大人ですし、友人が「苦しいのは自業自得」だとわかった上でやっていることなので私にできることは話を聞くとか、友人が恋人と別れてお金の問題を何とかしたいと決めた時に手助けするくらいしかないとは思いますが(それすら必要ない、おこがましいかもしれません…)それでも今つらそうな友人を見て私もつらくなります。
何か他にできることはないのでしょうか。こんなことを考えるのもお節介なのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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“困っていること”に手を差し伸べる
人は自分のしていることが正しいと信じたい生き物です。
『間違っている』と認めるのが難しいのです。
彼女は、自分が本当に困っていることを認めてはいないようですから、そこに手を伸ばそうとしてもやはり“余計なお世話”と感じてしまうのでしょう。
しかし、一つ、やってほしいことがあります。
その彼を褒めることです。
「あなたが好きになるんだから、素敵な人なのよね」
「どんなところがいいの?」
などと、彼の好きなところ、いいところを掘ってあげましょう。
自分が否定しているところに人からも否定されると、思わず否定された者のいいところを探してしまいます。
逆に褒められると「そういいことばかりでもない」という心理で相手のことを見るでしょう。
そうして、自分から相手の魅力の無さに気づかせるのです。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
つい「そんな彼はやめておいた方がいい」「最低な人だね」などと責める言い方をしていましたが、今度はあえて褒めてみようと思います。
友人を助けようと私も躍起になっていたので、落ち着いて自分にできることをやっていきます。