夫婦間の妊活に対する気持ちの相違
こんにちは。はじめて相談させていただきます。
結婚2年目の夫婦で、妻31歳、夫36歳です。
30歳を過ぎたこともあり、そろそろ子どもが欲しいと相談しました。
私の願いなら叶えたいとのことで了承してもらえたのですが、
そもそも夫は子どもが欲しくないようです。
理由は「私との関係を崩す可能性のある障害になりうるから」。
夫の願いは「私と死ぬまで仲良く一緒に生きること」で、その中で子供のことで修復できないほどぶつかったり、私との関係にひびが入るなら、子どもは要らないと言います。
私自身子どもが大好きで、結婚前も子供は30歳までに欲しいということはきちんと話してあり、その気持ちを認めてくれていました。
協力はしてくれるとはいえ、今更「子どもは欲しくない」「協力してほしかったら、全部君発信で決め事も1から100まで決めて、不機嫌になったり泣き言は言わないで、だって君が望んだことでしょ」
「それが嫌なら離婚して他の人と子どもを作った方が幸せだよ」
というのです。
ずっと心のどこかで引っ掛かりがあり、寂しく感じます。
子どもは夫婦の絆だと思うのに、邪魔物のように表現されて悲しいです。
当夫婦はレスなので、アクションを起こさねば絶対に子どもには恵まれません。
また、絶対に子どもができる保証もないので、できなければ夫婦で生きていくのも良いと思い、伝えています。
ただ最初から「子どもは妻の願いなんだから、夫の思う不安の解消、ケアを一手に受けなければならない」「それができないのなら協力できない」「常に前向きに発信していってくれ」というのは気が重いです。
未知の部分であり、ホルモンバランスの関係で今の頑張れる自分とは違う状態になる可能性もあるからです。
世のお母さんたちはもっと頑張っていると思うので、私が望みすぎ、心配しすぎなのでしょうか。
お教えください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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土台となる夫婦関係を先ず見直す
こんにちは。
私が、あなたの相談を読んでシンプルに思ったのは、現在の夫婦関係がそもそも幸せであるのかということです。十分幸せです、子どもが授からなくても。それならそれで結構なのです。
ただ、「子どもは妻の願いなんだから、夫の思う不安の解消、ケアを一手に受けなければならない」「それができないのなら協力できない」「常に前向きに発信していってくれ」という一連の発言からは、夫婦で共有すべき問題を全てあなたに負わせている印象があるのです。この向き合い方は、子どもの問題に限った姿勢なのか、普段からその応対の仕方なのか、が第三者には分からないのです。
要約すると、子どもを授かることについてのみ協力する(最低限の役割)。しかし、その後の委細についての責任と運営はあなたに一任する(最低限以外のことはしない)。これは、何だか仕事のやり取りのようであり、夫婦で愛情の結晶を育んでいこうよという話には見えません。
「子どもは夫婦の絆」と書いていますが、「夫婦の絆」を構築(或いは再構築)するために「子ども」が欲しいと思っている可能性はありませんか。勿論、あなたは元々「子どもが大好き」なのでしょう。
しかし、「夫婦の絆」の間隙を「子ども」で埋めようとしているのならば、そこには順序の逆転が起きているし、たとえ「子ども」が出来ても今のご主人を前提にするならば将来に「夫婦の絆」が生まれのか。少なくとも、子育てにおいてその「絆」が生まれる可能性については、非常に心もとない印象を持ちます。
また、あなた「との関係を崩す可能性のある障害」、「修復できないほどぶつか」るきっかけに「子ども」がなりうるとも発言しています。
夫婦は、ぶつかりあってなんぼ、じゃないでしょうか。
ぶつかり合うのが悪いのではない。
ぶつかりあって理解すること、相手の立場を考えられるようになることが大切なのです。
ぶつかり合いになる可能性の有る「障害」(しかも子供のことを)と呼び、まるで脆いガラス細工のように扱うようにしなければ夫婦が成立し得ないのであれば、そこに「夫婦の絆」が生じる可能性はあるのか。
「子ども」のことも目下の関心事ではありましょう。
しかし、その土台となる夫婦関係、ここを先ず見直すことが肝要かと思います(字数制限)
質問者からのお礼
遅くなりました。ご回答ありがとうございました。