延命処置をどのように考えますか?
仏教の観点から、人工呼吸器等のいわゆる延命処置を行うことについてどう考えるのかをお聞きしたいです。
私には重度の身体障害を持った20代の姉がいます。自分で体を動かしたり、考えていることを口に出したりすることはできず、ものを認識しているのかどうか、視力がはっきりしているのかどうかも分かりません。食事は胃瘻チューブから液体を注入し、数年前に気管切開をして今は喉の穴から呼吸をしています。その手術により、前までは「あー、」と時々出せていた声も出すことができなくなりました。
その姉が数週間前から調子を崩し、現在ICUで人工呼吸器を付けています。私たち家族には、ついにここまで来てしまった、という感覚があります。当初は人工呼吸器を外して今まで通り在宅で過ごすことができるようになるかもしれないという希望があったのですが、先日お医者さんから「人工呼吸器は外せないかもしれない」と言われてしまいました。
今まで何度も入退院を繰り返し、胃や喉に穴を開ける手術を乗り越える度に、自分で意思表示ができない姉の代わりに、私たち家族が処置を受けることの承諾をしてきました。今回も「挿管をしますか?」とお医者さんから決断を迫られ、苦しそうな姉をどうにかしたいという私たちの気持ちで「YES」と決断しましたが、これで良かったのかどうかは分かりません。電気が無ければ生きていけない体になってしまい、人工呼吸器を止めれば命が危うくなるという状態になってしまったことや、姉がどういう気持ちでいるのかが分からず、沢山の管を繋がれた様子を見ると、本当は本人が望んでいないのではないかと思ったりもして苦しい気持ちになります。「これで良かったんだよ」と肯定して欲しいという自分のエゴから質問をしているのだと思いますが、自分の感情から一歩引いて、仏教の観点から、人工呼吸器などの延命処置を受けることについて、違う見方ができれば…と思い質問させていただきました。
医療の技術が進歩し、本来は亡くなっていたはずの命が引き延ばされていっていますが、「自然の力に抗っている」というマイナスな捉え方をされるのでしょうか?
長文を読んでいただきありがとうございます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悩みながら共に生きることも、命の尊厳を守ること。
本当に難しいですよね。いのちを委ねられるのはね。現状を受け入れていくというのは、時にはとても苦しいものであり、こちらの願いが大きくなり過ぎることだってありますよね。
ずっとお支えしてこられたからこそ、苦労も苦悩もあっただろうと思います。もちろん、大切な家族の喜びもたくさん おありでしょうね。
医学的に何が正解なのか、求めてしまうこともあるでしょうが。こうして大切な方の人生を考え、悩みながら共に生きることも、命の尊厳を守ることなのでしょう。
いろんな方の臨終に接しておりますが、それでも生きていてほしいという家族の想いに触れると、どうにもならん煩悩(執着)を抱えてでしか生きられんのが人間だなと思うのです。もちろん私も含めてね。
この世でのお別れには、それほどの苦しみがありますね。待っていてね、また会おうねと、受け入れ生きていける世界が仏教にはあります。だから、仏様に頼っていくという信仰心が支えになることもある。
どうぞ、ご家族での時間を大切に。
あなたのお話を通して、お姉さまが懸命に生きてこられたこと。こうして聞かせてもらいながら、お姉さまのいのちを大切に想いますね。私も、お姉さまに出会えたことを嬉しく思っています。
人間の営みは全て“自然”
アリは泥で巨大な穴を建設します。
ビーバーは木を伐採してダムを作り、燕はハンガーまで用いて巣で卵を守っています。
彼らの営みを、人は“自然”と呼びます。
では人間が粘土をこねて焼いた煉瓦は不自然でしょうか?
それこそが、『人間が自然を超越した』という傲慢な思い込みに他ならないのではないでしょうか?
人間は、人間の出来ることをしているだけです。
雌のカマキリがつがいの雄を食べることを、私たちは理解できるでしょうか?
牛が胃袋の食べ物を口に戻して咀嚼することを、私たちは真似できるでしょうか?
生物が違えば、真似も理解もできない生態というモノにあふれています。
人間の延命措置は、人間には出来て、人間以外にはとても不気味に映る行為ではあるでしょう。
しかし、それもまた自然なのです。
我が子を守るために天敵に立ち向かう動物たちと、“命を守る”という意味で何も変わりはしないのです。
戦争の時代には『思い通りに生きられない』という苦があり、
平和な時代には『思い通りに死ねない』という苦がある。
真に自然なことなのです。
自然だからこそ、“どう思うべきか”という問いに答えはありません。
ただ、『助けられるのだから助けるべきだ』という“外野”の声に耳を傾ける必要はないと思います。
あなた方が、助けたいと思えるうちは助け、心身の限界と相談してゆくのが良いのではないでしょうか?
質問者からのお礼
けいじょう様
ご回答いただきありがとうございます。人間の営みは全て自然であり、ほかの生き物が命を守るのと同じことだと仰っていただいて、心が少し軽くなりました。人間が自然、不自然を判断し、「自然を超越した」と考えるのは傲慢だということにもハッとさせられました。これからも自分たちの決断に悩み続けるのだとは思いますが、その度にけいじょう様のお言葉を思い出させていただこうと思います。ありがとうございました。
中田様
温かいお言葉をいただきありがとうございます。「悩みながら共に生きることが命の尊厳を守ることになる」というお考えをきいて、正しいか正しくないかを考えるのではなく、共に悩むことが大切なのだと気付かされました。この質問を通して姉に出会えたと仰っていただき涙がこぼれました。ありがとうございました。