自分が犯した罪への罪悪感
私は現在19歳の大学生です。
2ヶ月ほど前に友人に誘われ、大麻を使用してしまいました。
その時の私は興味本意でなんの抵抗も持たずにやってしまいました。
しかし、今になって考えると自分は軽い気持ちでとんでもない罪を犯してしまったと反省しています。
海外では合法の国もありますが、日本での大麻の使用は犯罪であり、当然見つかれば逮捕されます。
もう2度とやるつもりもありませんし、今後は誘われたとしても絶対に断ります。
ここからが本題なのですが、本来バレれば私は捕まり、現在通っている大学も退学になり、バイトも辞めることになり、他の人からの信頼も失っていたと思います。
しかし、今現在普通の人と変わらない今まで通りの暮らしを送っていることにとても罪悪感を感じ、苦しいです。
罪を犯してしまった私には幸せになる権利など無いと思います。
私はこれからどのように生きていけばよいのでしょうか。
厳しいお叱りの意見も無論受け入れるつもりです。
何かお言葉をいただければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
2度としない事
拝
薬物依存のサポートもやっておりますが
私達は過去の行いについて通報しません
本人が2度と繰り返さない事が重要と考えており
さらに逮捕されても依存がなくなる事は無いからです
(現行犯は通報します)
仏教的には
問題の本質は依存にあります
アルコールもタバコも麻薬にしても
快楽物質を生み出し現実逃避する事を良しとしません
合法ドラックなどはその辺で合法で簡単に手に入るけれど
毒性もあり、今回あなたの使用した大麻より危険で依存も強いものが数多く存在し
精神が崩壊してしまう人がたくさんおり
知性も下がり
幽霊のようになってしまう人が後を絶ちません
そちらの合法ドラックの依存は最も身近な危険です
法規制がなかなか追いつかないところで
当然安全性もわからない新薬をどんどん作っているんでしょうね
くれぐれも興味本位で手を出さないように
さて
間違いを犯さずは人は生きれない
2度と間違えなければ
それは学びなのだから気にしない事
あなたの道がそっちでなかったとわかった事でよしとしましょう
若いうちは
色んなことに興味を持つ事も大事
今回は大それたかもしれないけど
若いうちの失敗は財産です
法律遵守はもちろんですが
仏教では問題の本質を捉える事が大事
あなたに魔が刺した事や
あなたがこれから失敗を生き方にどう反映させるかが
何より大事です
合掌
もうやらない
法律に触れてしまうという点では罪ということになりますよね。しかし、体に害があるのか、他の人に迷惑をかけてしまうのかという点で考えたらまだ、わからないことが多い問題もあるのでしょう。
麻の文化は日本には昔からあったと聞きますし、考え方によっては全否定できない内容なのかもしれません。今回の過ちは繰り返さないことが大切なのでしょう。
悪いことをしたと思ったら2度とやらないということです。
ここで吐き出し懺悔したことでスッキリして生活してください。
君子危うきに近寄らず。
私たちの人生には、軽い気持ちでしたことが取り返しのつかないことになってしまうことが、時に起こります。
起こしてしまった過去のことは、今から変えることはできないので、やはりこれからの生き方にかかってきます。
ご相談者さまの今回のことについては、道徳的、倫理的に罪になることは間違いありませんが、「使用」のみであれば、刑法に触れない可能性があります(私が調べた限りですが)。このことについてご自身でしっかり調べられること、専門家に相談することをされれば、「いつかことが明らかになって逮捕されてしまう」という思いについては、ふりまわされることが無くなります。
ただ、刑法にふれない結果になったとしても、大学を退学になるかならないかなどはもちろん別問題です。
倫理的、道徳的な問題、健康についての問題はもとより、犯罪組織やそこに近い人などと接点ができてしまうことが、今後のご相談者さまの人生にマイナス影響を与えていくことが大きな問題です。
「君子危うきに近寄らず」
今回のことを心の戒めとして、これからの人生に臨むことが大切です。