自分には何もない
三十代半ば、通信制大学3年の会社員です。生活の為これまでずっとやりたくない仕事をしてきました。なんの知識もコネも技術もありません。何かを得たい、そんな思いから4年数カ月前から合気道を習っています。思いの外自分には時間があると気付き、2年前に通信制大学にも編入、更に簿記の勉強も始めました。
しかし、これまで殆ど進展がありません。初段も大卒資格も簿記検定も駄目でした。こんな途方もない時間があったのに何で、どうして。結局また何も得られなかった、達成できなかった。合気道なんかやらなきゃ良かった。最初から通信制大学に、あるいは簿記にすれば良かった。そうしたら今頃大卒に、簿記検定受かってたかもしれない。転職したかもしれない、少しはマシな状況になってたかもしれない。莫大な時間を無駄にしたという後悔の念が遥かに少なかったかもしれない。そんな想いに押し潰されながら生きています。自分には何もありません。恋人も友達もいません。学生の頃は引きこもりみたいな感じでした。親はただ食っちゃ寝する私をぼーっと見ていただけです。このままじゃ将来困るぞ、目標を持って生きろとか何も言ってくれませんでした。親が嫌いです。相談もできません。合気道を習おうと思ったのは家や職場に近く、そして生きがいや目標を持てるかもしれない、代わり映えしない毎日を変えられるかもしれない、そんな風に思ったからです。休日に1人で買い物したり映画を観たり、本当は凄く寂しくて全然楽しくなかったです。必死にそれに気付かないふりをしてたんです。結局また選択を間違えました。ただ歳をとっただけです。虚しい慰めの言葉ではごまかせませんでした。勉強にも集中できません。何の為にこんなことするんだろう。もうどうしたら良いかわかりません。
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多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
たくさんの出会いや知らなかった世界を知っていく喜びを。
芽が出るのに、時間のかかる花もありますよね。きっとどんな人にも、花を咲かせる時期は違うのです。それがいつなのかは、わからないけれど、そうやって人生を咲かせるために、周りの環境や出会う人達を大切にしていけたら、違った世界が見えるのかもしれませんね。それは、能力や財だけのことではなく、何を喜びとするのか、見え方一つなのかもしれません。
合気道も通信制で学ばれるのも、あなたの行動力。結果はまだ先なのかもしれない。それでも、続ける先に、得られるものがあるのではないでしょうか。試験は何度もチャレンジできます。やめたらそこまで。
私は手話サークルに通って何年も経つのですが、なかなか上達しません。それでも会に向かわせるのは、手話での会話の楽しさです。通訳の資格なんて、いつになることやらですが、上には上がいますから、のんびりコミュニケーションを楽しみながら、毎回 手話の世界や文化に驚きと発見があります。学ぼうと思って入会したけれど、それ以上に、たくさんの出会いや知らなかった世界を知っていく喜びの時間を得ています。
会社員。今のお仕事のスキルアップを目指しつつ、大学での学びや出会いの中から、あなたが生きる世界に、やってみたい、やっていこう、というワクワクが生まれていけばいいですね。そこで出会う人との繋がりも、持ってみませんか。またそこから世界が広がればね。
そこが出発点でしょう。
そうですか、いろんなコストをかけて学んだのですね、ここに書かれたことを。
では、その後悔とか辛さを出発点にするしかないでしょう。
私たち坊さんは、(大抵)朝のお勤めで「自分の至らなさに思いを致せよ」と、日々自分のダメさと「それでも、やれることはある」とに思いを巡らせます。それをきっとあなたは、随分久し振りに、まとめてやったのでしょう。
まとめちゃったから大きくあなたにものしかかっているのです。あなたの「気づかないふりをしていた」というのは、そういうことでしょう。
でも親に言われて(それをただ素直に受け入れて)今に至ったとしても、何れ今と同じような所に来たのではありませんか?今更親のせいなんて、ね。
あちこち手を出しすぎると倒れる。これ自体は単純な話ですが、実際「どこまでやったら?」は一人ひとり違います。そして、やってみた人にしか分からないことです。
これからどうするか?今からできそうなことを探し、やりましょう。合気道だけに絞るのはどうですか?初段を取るのは目標であっても目的ではないでしょう。その目的を思い出してはいかがですか。