自殺のタイミングが掴めません
はじめまして。
無職です。以前数年間は働けていましたが、働き始める前からすでに、ちょっとしたストレスで簡単に体調を崩すようになっていました。今も続いており月一で通院しています。学校や職場といった何らかの集団に入るのが恐ろしくて仕方ありません。
学歴も恐ろしく低いです。資格等は全く無いわけじゃありませんが、もはやアルバイト労働さえも怖い始末です。
以前は楽しめていた趣味が、あんまりおもしろくなくなってきているのを感じます。希死念慮が年々強まってきているのを感じてはいました。
しかし、何故死にたいのか。生きる上で必要な労働云々に対してどうしてここまで恐怖を感じるのか、自分でもよくわからないのです。他人と自分を頻繁に比較して苦しいということだけは自覚できています。
潔く人生を諦めて、どうしようもない自分自身にとどめを刺そうにも、その決心がつきません。タイトル通り、タイミングがわからないのです。
やろうと思えば、おそらく簡単に成し遂げらると思います。あとは腹を(というか首を)括るだけです。ただどうしても「本当にここまででいいのか?」「まだ寿命もたっぷりあるぞ?」「もう少しだけ何か楽しめないものか?」とウジウジして踏みとどまってしまいます。
まぁ家族にとっては自分は足手まといの失敗作です。死んだ後を心配することなど何一つとしてないのですが、あとはどうやったら決心して行動に移せるんでしょうか?
以前からこのサイトを見つけて気になっており、とうとう情けなく相談してしまった次第です。
ネットのみんなが言うには、生きてるのが恥ずかしいくらいのアレな人間 実際、自分でもそう思う まだしぶとく生き残ってる
行動力が低い 自己肯定感が低い 他人の、自分とは違う意見に滅茶苦茶動揺しやすい この前、二種の不安障害だけでなく、躁鬱と診断された。気分どころか、人格に波が起きる自覚はあった。どうしよう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
変われる人は、悩みがある人なのです。
拝読させていただきました。
人は悩みをもつことはとてつもなく、嫌であり苦しいことです。
しかし返してみれば、人は悩み事や嫌なこと事、苦しいことがあるから、その苦難というものは、雲で覆いかぶさり月が見えないことでもあり、雲をはらい除けるために人は知恵や工夫を凝らして、新たな生き方を見出していきます。それは世の中すべての人に与えられた宿題のようなものです。
学力がなくても幸せに生きている人は万といます。また時代や国により学校に行けなくとも勉強できなかった人もたくさんいます。
生きる上で就職することが大事なことではありません。感情を上手にコントロールできる術を学ぶことが、どんな環境・境遇におかれても生きていることに不満を減少させ、嫌悪感が去っていきます。
上皇后美智子さまのお言葉に
「幸せな子を育てるのではなく、どんな環境におかれても幸せになれる子を育てたい。」と述べています。
◇賢い人とは、多くのことを知る人ではなく、大事なことを知る人のことである。
◇他人と比較しない生き方を学ぶこと。
◇承認欲求を放す生き方を学ぶこと。
◇答えを急がないことを学ぶ。
過去の経験から今の自身を決めつけないことが大切であり、過去の自己否定感を未来を予測する憶測を決めつけないことが必要であり、ダイエットでもそうですが一日マラソンしただけでは痩せず、一日食事を抜いただけでは痩せず、一日一日の積み重ねがすべて反映されていきます。
マイナス思考の練習を毎日すれば、どんどん希死念慮を構築させるだけであり、プラス思考を毎日練習していけば徐々に肯定感が芽生えていきます。
毎日、自然と水分を摂取するように、毎日自身なりにできること(プラス思考)を行うことは、心の変化が訪れ、行動に変化が訪れていきます。
後悔をついつい思うのも人間の性質、習慣の人も多々います。しかし、後悔なんてもっともっと後でいいのです。とにかく仏教では「今を生きる」ことが軸です。
釈迦は「過去は追うな。未来を願うな。今を生きよ。」と真理を説きます。
変われます。変われるのです。
悩みがあるから、変われるチャンスをくれているのです。
徐々に良い方向へ紆余曲折しながらも、振り返ればすべては良い経験であったと思える人生にしてやりましょう。
合掌
心よりお察しします
拝読させて頂きました。
あなたが生きることに対して夢や希望もなくなり生きる意味もないと思っておられること、もはや自ら命を絶ってしまってもいいと思っておられること、そして死ぬタイミングを見計らっておられることを読ませて頂きました。
今のあなたの状況やお気持ちの程の全てはわからないですけれども、あなたのお気持ちなんとなくわかる様に感じます。あなたのそんなお気持ちを心よりお察しします。
今あなたは生きる中でいろいろなことを思い心の中で沢山のことを抱えてしまっておられるのではないかと思います。そしてその重石があなた心に負担やストレスをかけているのかもしれないなと感じます。
働くことも学歴のことでも人と比べてしまうともうやる気もわかないのかもしれませんし、今まで好きだったことや興味のあったことさえも色あせてしまって気持ちも向かなくなってしまっておられるのかもしれません。
そうした中でもう自分の人生をさっさと終わらせてしまいたいと思っておられるのかもしれません。
詳細なことはわからないですけれども私もその様に感じることは今まで何度かありますし、もしかしたらそんな中で今も生きている様にも思う時があります。
とはいえなかなか自分の人生をやめてしまうのも大変な様にも感じますし、それすら面倒な様にも思うことあります。
今すぐにどうこう答えはなかなか出てきませんし、そのタイミングがいつなのかわからない様にも思います。
宜しければ可能な範囲であなたのそのお気持ちをゆっくりとお聞かせなさって下さい。あなたは今ここでも私ともご縁を結んでおられるのですし、仏様やご先祖様ともご縁がつながっているのです。
もしかしたらあなたがお話しなさる中で新たなものが浮かんでくるかもしれませんし、生きることや死ぬことについて別の見方や考えも思いつくかもしれません。
ゆっくりお話しなさることで少しずつあなたのお気持ちも整理していくことができるかもしれませんからね。
あなたを心よりお待ちしております。
ありがとうございます。もし宜しければお寺にもお参りなさって下さいね。そしてあなたのお気持ちお聞かせ下さい。心よりお待ちしています。
質問者からのお礼
すみません。お二方の助言も生かせず、ただのうのうと、進歩なくしぶとく生き残ってしまいました。
しかし、ありがとうございました。ここで相談してなければもっと悪くなっていたかもしれませんし。