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夫を亡くしました。

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先月、夫が心臓発作で亡くなりました。
私は前日から出かけていて帰宅後すぐに気付かず(夫も出かけていると思ってました)夜になって自室のベッドで冷たくなった夫を発見しました。

検死の結果、その日の明け方に亡くなったようです。
その時の衝撃と別人のような夫の顔は、一生消えないと思います。

「亡くなったことも帰宅後すぐ見つけなかったことも、あなたが悪いんじゃない」と周囲の方は言ってくださいます。
夫とはいろいろありましたが、二人の生活になってから本当に優しくなりました。
なのに私は亡くなって半日以上も放置したのです。

両親のお墓参りもしない人でしたので、戒名は付けませんでした。
私の心の区切りとして、葬送はお坊さんに読経してもらいました。

今も毎日供養の気持ちでお線香は焚いています。
感謝の気持ちと、気付くのが遅れたことを謝り泣いています。

私は夫に施しを受けてばかり、夫は自分のことは後回しにする人で、多くを望みませんでした。
幸せな人生だったのかと思うことがあります。

酒と煙草をやめられず、最後の夜もきっと嗜んでいたと思います。
入院などして好きなこともできず亡くなるのも気の毒だけど、最後まで好きに過ごして突然亡くなる…
本人も未だに自分が死んだことに気付いてないのでは?と思います。

また最近は、私たちが嘆き悲しみ送り、お骨上げをしたのは本当に夫だったのか、それさえ信じられなくなりました。

まだ悲しみに浸っていていいと思いますが、自分のおかしな考えに自分自身呆れることもあります。

私の気持ちと関係なく、周囲は日常を過ごしています。
親しい友人にも、心の内を話すことができなくなりました。

子供たちのことを考え、新しくお寺付き合いをしない私がこちらに相談するのも烏滸がましいことですが、誰かに聞いてほしくて…すみません。

2022年6月22日 8:45

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご主人への最高の供養は、あなたが幸せに人生を全うする事。

うさぎ大好きさん、こんにちは。金剛座寺住職の染川と申します。

 あなたを大切にされていたご主人さんがお亡くなりになられたのですね。お悔やみ申し上げます。

 悲しい事ではありますが、これはお釈迦さまが最初に気づいた人生の真理。人は必ず亡くなるという生老病死の認識でした。どんな凄い方でも人は必ず亡くなるのです。私もそしてうさぎさんもです。そして長く生きるか短く生きるかの寿命のコントロールを私たちは決める事ができません。また長く生きるから良い人生、早くなくなったので悪い人生とも限りません。短い人生でも社会に名をなし、更には社会・人々のために功を成した人はたくさんいます。
 
 その方の人生の功をどう社会に伝えるか、それが遺族の役割になります。ご主人はあなたを大切にしていたのであれば、これからの残りの人生を幸せに生きる事がご主人の願いでもあると思います。悩んで苦しんでいたらご主人は霊界で悲しむ事でしょう。是非、これから幸せな人生を築いてください。何十年か後、遠くない時に私たちも亡くなります。その時までしばらく待ちましょう。
 
 さらには、もし仏さまの願い、人々が幸せになるお手伝いをあなたが実践したら(仏教ではそれを菩薩行という尊い生き方になります)、ご主人はもっともっと喜ばれる事でしょう。それはご主人の回向供養にもなるからです。

まだまだ心が落ち着くまで、生活が落ち着くまでは時間がかかると思いますが、そのための年忌供養。仏教を通して新たな人生を築き上げてください。心あるお坊さんなら応援してくださるはずです。私も応援します。お互い精進していきましょう。合掌
  

2022年6月22日 9:21
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泣きたいときは泣いていい

うさぎ大好き 様

ご主人様のこと、お悔やみ申し上げますとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。合掌礼拝

突然の別れ、受け入れられず、混乱し、哀しみがいつも付きまとっている。そんな感じでしょうか?「これはサプライじゃ?」と思う人いますので、あなたの今の心情は当たり前の反応かと思います。
それでいいんです。
泣きたいときは泣き、感情は出した方がいいので、どうぞここで、お気持ちを吐き出ししてください。ご主人との思い出は、今はまだ思い出すのも嫌かもしれませんが、楽しい思い出の時は笑い、悲しいときは泣き、辛いときは怒りや嫌悪の感情を一緒に吐き出す方がよいですし、たくさん思い出した方がご主人も喜ぶと思います。ここで出し切ってください。

突然の別れに、人は混乱し、否定し、怒り、落ち込み、あきらめ、などの感情が行ったり来たりして、一筋縄でいかないのが普通ですので、ご自分を責めずに、思いのままに任せればよいかと思います。
そして、ご自身が癒される何かをまた、手に入れる方法も見つける段階でもありますので、癒される何かを(ウサギでもいいですよ)見つけてみてください。
あなたが、ご主人を愛したことを誇りに思いながら。

合掌礼

追伸:お礼メッセージありがとうございました。おっしゃる通り、無理なきように、笑える時は笑い、泣きたいときはなき、過ごしてください。ご主人の優しさを周りに向けようとすることが素晴らしいです。
またつらい時は、どうぞ遠慮なくご相談ください。再礼
追追伸:追記ありがとうございました。食欲が戻ってきたことをうれしく思います。でもまだ泣きたいときは泣いていいと思います。詫びること、悔いることがあるでしょうが、それと同じようにあるいはそれ以上に、出来たこと、愛し合ったこと、笑いあった日々があると思います。そちらの方にも意識を向けてみましょう。ご自分なりの供養でよいと思いますが、もしお寺で、僧侶の読経回向が必要と思うようであれば、心のケアでもそうですが、いつでも遠慮なくご相談ください。合掌礼拝

2022年6月22日 9:04
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お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
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質問者からのお礼

釋 孝修さま、染川智勇さま

お言葉をありがとうございます。
夫が亡くなってから、日常の全てが変わってしまいました。
夫の優しさと存在の大きさ、周囲の方々の支えで生きてきたことを、改めて強く実感しました。
でも、直接伝える術はもうありません。

元気に笑って過ごすこと、今まで受けてきた優しさを今度は私が周囲に施すこと、それが夫への供養になると信じ、実践して参ります。

笑えるようになるまで時間がかかると思いますが、無理せず少しずつ歩みます。

(2022.6.29追記)
仏教の四十九日が近づき、ひとり暮らしにも慣れてきました。
寂しさは変わらないし、未だ何もする気になれず、毎日座ったままぼーっと過ごしてます。
食欲は戻ってきましたが体力は落ちたまま、これからの暑さに負けてしまいそうです。

生活に必要な手続きで、夫の名前が私の名前に変わってきました。
世間から夫の存在が薄れていくのが悲しくて、その都度泣いてしまいます。
改めてどれだけ大切な人だったが、全てにおいて守られて生きていたか、一緒にいる間に気付けず過ごした愚かさを詫びることしかできません。

四十九日までは泣いて悲しみ、それを機に前を向いて…と仰るお坊さんも居られます。
お寺付き合いがないので法要は執り行いませんが、一つの区切りとして意識しようと思います。

「親・家族・恋人・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

父の死に激しい後悔

 こんにちは。日に日に積もる気持ちにどうしようもなく、相談させて頂きます。  父の死に後悔ばかりです。2~3年前から股関節骨折を機会に父の持病が悪化し、病院から老健の行ったり来たりで、父は家に帰りたいとか死にたいとか言うようになりました。  もともと父と私は昔から喧嘩ばかりしていて、口も聞かない時期が沢山ありました。  そしていたずら電話を何度もするようになり、電話に出ても何も言わないでこちらの声を聞いたりしてましたが、私はキレてきつい言葉で罵りました。言い過ぎたので悪いと思い病院に顔を出しましたが、父は普通に話してくれました。  でも父との最後の会話は 父『家に帰りたい』 私『痰を常に取らないといけないから仕事あるから無理』 父『私の心配はしなくてもいいから帰りたい』 私『いい加減にして!お父さんの心配なんか一つもしてない。私は自分の仕事と将来のだけを心配をしてる。絶対に嫌』 父『あーもうーいい加減にしろ』 父『もうお前に頼まん』  絶望のような声で言ってました。これで二週間後に危篤になり、息を引き取りました。  またきつく怒鳴ったのでそろそろ顔見せに行こうかと思いながらも、また家に帰りたいと言われたらどうしようと思って、顔を出すのを控えてました。  危篤の父に何度も謝ろうと思っだけど『介護の何一つもしていない自分が言える言葉か』と思いなぜかどうしても言えませんでした。  今、後悔しかないです。本当に自分の愚かさが嫌になります。今ごめんねと謝っても後悔ばかりです。父はどんな思いでイタズラ電話をしてきたのか。どんな思いで帰りたいと言ったのか。  私が有給をとり自宅介護を一週間でもした方が良かったのに、私は汚い言葉で罵る事しかしなかった。。。もっと言い方はあっただろうに。。ただ怒るだけの私  お葬式で家に遺体を運んだ時に、亡くなってからでしか家に帰れなかった、父のその姿が頭から離れません。  日に日に思いが強くなり、激しい後悔です。この気持ちにどう折り合いをつけたらいいでしょうか。ご教授お願い致します。

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弟の死を未だに受け入れられないです。

2022年1月に、4つ下の弟を自死で亡くしました。 亡くなってから気づくもので、同じ年の8月ごろから自ら死を選ぼうとしていたようでヘリウムガスを購入していました。 私は結婚して家を出ているので、祖父母と両親と5人暮らしです。普通の家庭で、何不自由なく育ったと私自身は思っています。 弟とは仲が良く、結婚して家を出てからも二人で飲みに行ったり両親を連れて出掛けたり、私の家族とみんなで旅行に行ったりしていました。なぜ死を選ぶのかが、正直わからない程です。 弟が亡くなってから、弟の友人に聞いたのですが中学生ごろから「そんなに、長生きはしたくない。」大人になってからも、「どうせいつか人は死ぬんだから自分で自分が死ぬ年齢は決めたい。」などといっていたようです。今思い返せば、弟が20歳になった時に私と母に「20歳まで生きるはずじゃなかったんだけどなー。笑」と言ってきたことがあります。 未だに、弟がいないという現実を受け入れたくないので考えないようにしている自分がいて時間が経てば経つほど苦しいです。 自死を選んで後悔してないのか。気になって気になって絶対にわからないのに答えがほしいです。 出棺のときに、霊柩車が実家に向かう途中にエンジントラブルで3.40分遅れたり 告別式で拝んで頂いているときに私の主人の数珠が突然弾けて数珠がすごい勢いで散らばったりハプニング続きで、葬儀会社の方もこんなこと初めてだと驚いていました。その出来事がなおさら、やっぱり死ななければよかったと思って後悔しているのではないかと思えてなりません。 何か、いいお話が聞ければと思ってこちらに書きました。よろしくお願いします。

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夫と死別。ずっと苦しいままです。

2週間前に夫を会社の事故で亡くし死別しました。 現在2歳児の息子がいて2人目妊娠中36wの妊婦です。 これから先、どうしようと途方に暮れていましたが 義実家が受け入れてくれお世話になる事になりました。 義両親はとてもよくしてくれ関係もすごく良好です。 夫が亡くなった日の翌朝、夫のスマホから 連絡を取ったりしないといけない用事等があり パスワードを入力し開くと何通か通知が来ており 急ぎかな?と思い開きました。 夫はTwitter、Instagramで裏アカを作成し、 その他出会えるアプリに登録しており 何人もの人と不貞行為におよんでいました。 亡くなった翌朝に会う約束をしてる人もいました。 私には残業があると言っていたので すごくショックを受けました。 また、不貞行為を始めたのは私の2人目の妊娠がわかった時位からでした… 私がつわりが酷くて保育の送り迎え往復4、50分かかってつらかった時も 夫は3交替で私はワンオペ、家事育児仕事の両立がきつくて泣いていた時も 早出や遅出や会議や出張や飲み会があると ずっと嘘ついて女性と会ってたやり取りが見つかり その日からずっとふとした瞬間苦しくなります。 私と息子の存在は夫にとって何だったのかな? 亡くなった後に久しぶりに乗った夫の車から息子の チャイルドシートが外されトランクに隠されていて あー夫は他の女性をこの車に乗せて 独身であることにしてたんだなあと思い、 リュックサックからバイアグラも見つかり虚しくなりました。 夫が亡くならなかったら私は一度も夫を 疑いもしなかったし気付かないままだったと思います。 夫の死はとても悲しく、だけど呆れや虚しさや 腹立たしい気持ちもあり今でも涙が出ます。 夫は最期まで私や息子を愛してくれていたのでしょうか… ずっと苦しい気持ちが消えません。 どうしたらこの気持ちが消えてくれるのでしょうか。

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夫が急逝しました。

初めて投稿いたします。 私はうつ病を抱えております。 答えが欲しいというより聞いていただきたいのです。 今年の2月、長い間病と闘ってきた夫が急逝しました。 夫は若い頃から腎臓と心臓に病を抱えていて、40代で人工透析を受ける事となりました。 それも長期になってくると身体に負担がかかります。 不整脈もあって、50代後半には仕事に支障が出るほどに体調が悪化。 そうなると次は腎臓移植です。 しかし移植を待つ患者は多く、順番が回ってくるのはいつになるか。 そこで私は、私の腎臓を移植する事を夫に提案しました。 最初はとんでもないと固辞していましたが、やはり体の辛さに耐えられず、数年かかってやっと承諾してくれました。 このまま透析を続けてもいつまで生きられるか。 それなら私の腎臓を移植して生き永らえる時間を延ばせれば。 そして2020年4月、夫婦間生体腎臓移植手術を受けました。 しかし、ここから再び夫の苦難が始まってしまったのです。 入院中に様々な病気を併発し、退院できたのは2ヶ月半後。 元々筋肉質だった夫は痩せ細り、1人で歩く事もできなくなっていました。 しかし私は心配していませんでした。 元々楽天的で努力家の夫は、私がセーブしなければ頑張り過ぎてしまう人でした。 ところが今回は違いました。 なかなかリハビリを始めない夫を私は叱咤激励し、時にはなじってしまいました。 今なら理解できます。 移植手術は思ったよりも夫の身体に負担を強いたという事を。 もう遅かったのだという事を。 移植を受けたため、夫は免疫抑制剤を常用しなければなりません。 世間ではコロナが蔓延していた時期。 ワクチンは都度接種し、外出時はマスクをし、手を消毒、帰ってきたら手洗いうがいをさせ、注意していたつもりでした。 しかし昨年末、夫がコロナに罹患してしまったのです。 最初はまさかコロナだとは思わず、年末年始という時期もあり、家で様子をみる事に。 ところが年明け早々呼吸困難に陥り、救急車搬送となりました。 そして入院から1ヶ月ほどで、突然心停止し、そのまま逝ってしまったのです。 私は今、悲しみと後悔の念に苛まれています。 私にはまだ実父と義母、そして飼い猫を見送るという役目が残っています。 それを終えたらもうすべき事はありません。 いつか仏様の元で亡き人々の冥福を祈りながら過ごす、それが今の私の願いです。

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夫が亡くなりました

昨年末に夫が亡くなりました。 結婚30年目の事でした。一度離婚して別居した事があったのですが、その後思うところあり再婚し、私は別居先で仕事を始めてしまったので、週末婚の状態で過ごしていました。 週末には必ず一緒に過ごし、買い物したり、ご飯食べに行ったり。 夏には私と一緒に別居している娘達と旅行に行っていました。 しかし、昨年は年頭から私たちがコロナに次々と感染し、更には娘が職場で怪我をする、更年期の私は外出もままならない、となり、一度も会いに行けないまま、年の瀬を迎えてしまいました。 しかし、年末恒例でいつも私が年越しの料理を大量に作って持っていくのが定番でしたのでそろそろ、と思っていた時に、同居していた息子から『父が死んでいた』と連絡が来たのです。 それからの事はあまりよく覚えていないのですが、自宅で亡くなったので警察に遺体を持っていかれ、家では会えなかった事、身内が殆どいなくなっていたので子供達だけで火葬した事、それまで全く泣かなかったのを覚えています。 ですが、今年になってからの半年は相続関係、遺産分割などで段々と主人がいないんだと思うと泣く、と言うより胸を掻きむしりたいくらい自分が悪女になったようでどうしたらいいのかわかりません。 主人はどんなに寂しかったろう、たった1人で冷たい部屋で最後にどんな思いで逝ってしまったのだろうと思ってしまいます。 私はどれほど酷い妻だったのだ、と泣く資格なんてお前にあるのか、と言われている気がするのです。今更遅いのはわかっています。でも、どうしたら主人に詫びる事ができるのでしょう。納骨もしなくちゃならないのはわかっていますがまだ、離れたくなくて自宅においたままです。生前から散骨希望ではあったけど、そうしたらもう本当に主人はいなくなってしまう。 一体どうしたらいいのかわからないのです。 夢にでも出てきて私をとことん罵ってくれればいいと思うのにたまに夢に出てくる主人は穏やかに笑って昔みたいに一緒に料理したり、キャンプしたりなのです。 亡くなった人と会話ができたらいいのに、と思うばかりで胸が苦しくてたまりません。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ