夫を亡くしました。
先月、夫が心臓発作で亡くなりました。
私は前日から出かけていて帰宅後すぐに気付かず(夫も出かけていると思ってました)夜になって自室のベッドで冷たくなった夫を発見しました。
検死の結果、その日の明け方に亡くなったようです。
その時の衝撃と別人のような夫の顔は、一生消えないと思います。
「亡くなったことも帰宅後すぐ見つけなかったことも、あなたが悪いんじゃない」と周囲の方は言ってくださいます。
夫とはいろいろありましたが、二人の生活になってから本当に優しくなりました。
なのに私は亡くなって半日以上も放置したのです。
両親のお墓参りもしない人でしたので、戒名は付けませんでした。
私の心の区切りとして、葬送はお坊さんに読経してもらいました。
今も毎日供養の気持ちでお線香は焚いています。
感謝の気持ちと、気付くのが遅れたことを謝り泣いています。
私は夫に施しを受けてばかり、夫は自分のことは後回しにする人で、多くを望みませんでした。
幸せな人生だったのかと思うことがあります。
酒と煙草をやめられず、最後の夜もきっと嗜んでいたと思います。
入院などして好きなこともできず亡くなるのも気の毒だけど、最後まで好きに過ごして突然亡くなる…
本人も未だに自分が死んだことに気付いてないのでは?と思います。
また最近は、私たちが嘆き悲しみ送り、お骨上げをしたのは本当に夫だったのか、それさえ信じられなくなりました。
まだ悲しみに浸っていていいと思いますが、自分のおかしな考えに自分自身呆れることもあります。
私の気持ちと関係なく、周囲は日常を過ごしています。
親しい友人にも、心の内を話すことができなくなりました。
子供たちのことを考え、新しくお寺付き合いをしない私がこちらに相談するのも烏滸がましいことですが、誰かに聞いてほしくて…すみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご主人への最高の供養は、あなたが幸せに人生を全うする事。
うさぎ大好きさん、こんにちは。金剛座寺住職の染川と申します。
あなたを大切にされていたご主人さんがお亡くなりになられたのですね。お悔やみ申し上げます。
悲しい事ではありますが、これはお釈迦さまが最初に気づいた人生の真理。人は必ず亡くなるという生老病死の認識でした。どんな凄い方でも人は必ず亡くなるのです。私もそしてうさぎさんもです。そして長く生きるか短く生きるかの寿命のコントロールを私たちは決める事ができません。また長く生きるから良い人生、早くなくなったので悪い人生とも限りません。短い人生でも社会に名をなし、更には社会・人々のために功を成した人はたくさんいます。
その方の人生の功をどう社会に伝えるか、それが遺族の役割になります。ご主人はあなたを大切にしていたのであれば、これからの残りの人生を幸せに生きる事がご主人の願いでもあると思います。悩んで苦しんでいたらご主人は霊界で悲しむ事でしょう。是非、これから幸せな人生を築いてください。何十年か後、遠くない時に私たちも亡くなります。その時までしばらく待ちましょう。
さらには、もし仏さまの願い、人々が幸せになるお手伝いをあなたが実践したら(仏教ではそれを菩薩行という尊い生き方になります)、ご主人はもっともっと喜ばれる事でしょう。それはご主人の回向供養にもなるからです。
まだまだ心が落ち着くまで、生活が落ち着くまでは時間がかかると思いますが、そのための年忌供養。仏教を通して新たな人生を築き上げてください。心あるお坊さんなら応援してくださるはずです。私も応援します。お互い精進していきましょう。合掌
泣きたいときは泣いていい
うさぎ大好き 様
ご主人様のこと、お悔やみ申し上げますとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。合掌礼拝
突然の別れ、受け入れられず、混乱し、哀しみがいつも付きまとっている。そんな感じでしょうか?「これはサプライじゃ?」と思う人いますので、あなたの今の心情は当たり前の反応かと思います。
それでいいんです。
泣きたいときは泣き、感情は出した方がいいので、どうぞここで、お気持ちを吐き出ししてください。ご主人との思い出は、今はまだ思い出すのも嫌かもしれませんが、楽しい思い出の時は笑い、悲しいときは泣き、辛いときは怒りや嫌悪の感情を一緒に吐き出す方がよいですし、たくさん思い出した方がご主人も喜ぶと思います。ここで出し切ってください。
突然の別れに、人は混乱し、否定し、怒り、落ち込み、あきらめ、などの感情が行ったり来たりして、一筋縄でいかないのが普通ですので、ご自分を責めずに、思いのままに任せればよいかと思います。
そして、ご自身が癒される何かをまた、手に入れる方法も見つける段階でもありますので、癒される何かを(ウサギでもいいですよ)見つけてみてください。
あなたが、ご主人を愛したことを誇りに思いながら。
合掌礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。おっしゃる通り、無理なきように、笑える時は笑い、泣きたいときはなき、過ごしてください。ご主人の優しさを周りに向けようとすることが素晴らしいです。
またつらい時は、どうぞ遠慮なくご相談ください。再礼
追追伸:追記ありがとうございました。食欲が戻ってきたことをうれしく思います。でもまだ泣きたいときは泣いていいと思います。詫びること、悔いることがあるでしょうが、それと同じようにあるいはそれ以上に、出来たこと、愛し合ったこと、笑いあった日々があると思います。そちらの方にも意識を向けてみましょう。ご自分なりの供養でよいと思いますが、もしお寺で、僧侶の読経回向が必要と思うようであれば、心のケアでもそうですが、いつでも遠慮なくご相談ください。合掌礼拝
質問者からのお礼
釋 孝修さま、染川智勇さま
お言葉をありがとうございます。
夫が亡くなってから、日常の全てが変わってしまいました。
夫の優しさと存在の大きさ、周囲の方々の支えで生きてきたことを、改めて強く実感しました。
でも、直接伝える術はもうありません。
元気に笑って過ごすこと、今まで受けてきた優しさを今度は私が周囲に施すこと、それが夫への供養になると信じ、実践して参ります。
笑えるようになるまで時間がかかると思いますが、無理せず少しずつ歩みます。
(2022.6.29追記)
仏教の四十九日が近づき、ひとり暮らしにも慣れてきました。
寂しさは変わらないし、未だ何もする気になれず、毎日座ったままぼーっと過ごしてます。
食欲は戻ってきましたが体力は落ちたまま、これからの暑さに負けてしまいそうです。
生活に必要な手続きで、夫の名前が私の名前に変わってきました。
世間から夫の存在が薄れていくのが悲しくて、その都度泣いてしまいます。
改めてどれだけ大切な人だったが、全てにおいて守られて生きていたか、一緒にいる間に気付けず過ごした愚かさを詫びることしかできません。
四十九日までは泣いて悲しみ、それを機に前を向いて…と仰るお坊さんも居られます。
お寺付き合いがないので法要は執り行いませんが、一つの区切りとして意識しようと思います。