お世話になった人が亡くなった時
高校2年生の女子です。
先日、私の習い事の先生が突然亡くなったと知りました。私はその習い事を8年続けており、その先生とも親しかったです。先生とは、1週間前に話したのが最期になってしまいました。その時はいつも通り元気だったのに…もうあと少しで、その習い事の発表会があったはずなのに…先生と一緒に本番が迎えられるはずだったのに…たくさんお世話になったのに、何も感謝を伝えられないまま逝ってしまった……
そう考えるととても悲しくて感情の整理ができません。
私はここ10年ほど、周りの人を亡くした経験がなく、ひい祖母が亡くなった時もまだ幼かったため、ただ漠然と、「もう二度と会えないのか」と思った程度でした。しかし、冷たくなったひい祖母を触った時、生きている人間とは違う冷たさに驚き恐怖を感じたことは鮮明に覚えています。
久しぶりに人の死と向き合い、本当に突然で、とても混乱しています。
数日後にお通夜に参加する予定なのですが、自分がどんな感情を持つのかが怖いです。先述した通り、とても悲しく、寂しく、先生への思いも沢山あります。それなのに、何となく、その先生が亡くなられたことを冷静に見つめている自分がいて、自分は薄情なのかと思ってしまいます。泣きたいのに何故か涙が出なくて、悲しいはずなのにどこか冷静に考えている自分がいて、相反する感情がグルグル回ってます。
私はどうすれば良いのでしょうか。
長文乱文失礼しました。
何かご意見を頂けると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
亡くなられた方々が、大事なことを、最期に教えて下さっています
親しい方、近しい方の突然の訃報に、ただ時間が止まったように呆然としてしまうこともあります。どのように受け止めたらいいのか、この気持ちを何と表現したらいいのか、とても複雑なものです。ですから、冷静であったり、涙が出なかったり、(私は薄情だと)どうしてなのだろうと思うこともあるでしょう。ですが、それは自然なことなのですよ。だって、思いがけないことが起きたのですから、心を上手く整理できるはずがないのです。
死は、怖く感じますね。
この体験は、とても大切なのですよ。
見たくないことかもしれませんが、人間には避けて通れない、死を見るから生きることを考えますし、どのように生きたらいいのかを学べるのです。
命には限りがあることを、亡き人が教えてくださっています。老い、病み、肉体が冷たくなり、命終える時がくること。
だから、自分の命を、出会う命を、大切にしたいと思えるし、全ての命は尊いのだと気付かされます。
亡くなられた方々が、その大事なことを、最期に教えて下さっています。そしてこれからの生き方まで、考える機会を与えてくださるですよ。
先生は亡くなられても、教えてくださったことがあなたの中で育まれています。ちゃんと生きていくのです。
発表会には、それを誇りに胸を張って、先生と一緒に迎えてくださいね。(あなたの中で生きてくださっているでしょ)あなたが、感謝を示す形って、ちゃんとあるじゃない◎
お通夜に参られましたら、先生にご挨拶をね。
合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
「先生は亡くなられても、教えてくださったことがあなたの中で育まれています。ちゃんと生きていくのです。 」という言葉がとても響きました。先生は最期まで大切なことを教えてくれたのだ、と思い少し気持ちが明るくなりました。
本日お通夜に行ってきました。感謝やこれからの志などを伝えることができたと思います。
発表会や練習に全力で取り組み、先生の教えてくださった事とともに、前を向いて生きていきたいです。