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夫婦関係の悩みで相談に乗って欲しいです。

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有り難し有り難し 22

新婚3ヵ月で夫はもう一緒にいたくないと言いましてコミュニケーションを拒否して私は一体どうすればいいかしら。

私達は付き合ったばかりですぐ遠距離になって、1年半くらい経って乗り越えて、やっと結婚なのに、今こんなことになってとても悲しいです。新婚の感じもしていません。

夫と一緒に幸せになりたいです。彼は全然自分のことや自分の考え方など言ってくれない人で、何かいい方法で少しずつ話してくれるようになりますか。

夫は日本人で私は外国人です。
もし違和感がある変な日本語の表現がありましたら申し訳ございません。

よろしくお願いいたします。

2022年7月7日 2:30

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

タテゴトをしない 

日本へようこそ。
日本を愛する方は外国人さんではありません。
みんなおともだち。
人間の我の心を楽器にたとえます。タテゴト。竪琴。
琴の音は鳴らせば音が鳴る。
弾かない時には音はならない。
そっと弾けば優しくなります。
大きく強く弾けば音がしばらく鳴り響きます。
ずっとなり続けることをサスティンといいますね。持続可能、サスティナブルのサスティン。
ひょっとすると、今もその音が長く続いているのかもしれません。
ここで申し上げるところの竪琴と言いますものは、先立つ我のこと。エゴのこと(琴)。
そのエゴの竪琴(たてごと)とは、仏の響きをなさなければコミュニケーションにもならないし、相手に良い響きだ、良い心地だという響きを生み出せないものです。我の響きで自分が自分がとかき鳴らそうとすると自分は良くても相手は不快。弁が立つ人、言いたいことが山ほどある人、つい自分のことを言いたい、しゃべりたい人は技巧的に弾きこなそうとする人が多いものですが、本当はまず「鳴らさない」ことがその琴の大事な響きなのです。弾く力より聴く力。🎸 🎻 🏹
自分が自分が、とつい先立てて良い響きを優先しないでとにかくかき鳴らそうとしてしまうのです。そのかき鳴らされた音ではお互いが共鳴しません。
人間はとにかく自分が自分がというかき鳴らし方になっているものです。

分かりづらい説明だったかもしれませんが、ここのところの琴の響きに心静かに耳を傾けてみてください。この文章が何を言おうとしているのかを読みとってください。聴き取ってください。聴き取る為にはあなたもまず心の中で竪琴をもちこまない。竪琴とは立て事。
何かつい優先する意識。
だれかが話をしようとすると「ああ、その話知ってる。」とか、私が主役になってしまうような。
相手がこう言いたい「壱」という趣旨があるのにこちらで「きっとこの人はこれを言いたいのね。あれの事かしら?」と早まってたてごとをしてしまう。
その二人の響きあい、共鳴の機会をそこねてしまうことが、ここで申し上げております、つい自分が自分がと無意識に「ことを先立てて」しまう「竪琴(タテゴト)」という全人類が心につい誰も弾いてくれと言わないのにかき鳴らしてしまう楽器、我ッ気なのです。ニホンゴむずかしかったらごめんなさいね。自分が自分の響きに目を向ける、耳を傾ける、みつめる力。それが無我の響きです。

2022年7月8日 23:07
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

しっかりとお向き合いなさってお話しましょう

拝読させて頂きました。
あなたがご結婚なさって旦那さんとコミュニケーションとることができずに、とても困っていること辛い思いをなさっていることを読ませて頂きました。詳細なことはわからないですが、お気持ちを心よりお察しします。
旦那さんが何故一緒にいたくない、話もしたくないと思ってあなたを拒否しているのかわかりません。
とはいえやはりご夫婦でしっかりとお向き合いなさってお話なさって頂くことが大事だと思います。
どうしても感情的になってしまうようなら誰か別の人に話を聞いてもらってもいいのではないでしょうか?
とりあえずは旦那さんが何故そんな気持ちになったのかを聞いてみましょう。そしてあなたも自分で思い当たることもあるかもしれませんしゆっくりと自分のことも見つめていきましょう。
夫婦のことは他人にはわからないことが多いですからどうか間に誰か入ってもらってもいいと思いますのでご夫婦で落ち着いてゆっくりとお向き合いなさって下さいね。そしてそれぞれのお気持ちをしっかりとお聞きなさって下さいね。そしてあまり急いで結論を出さないで下さいね。
夫婦はかけげのない大切なご縁ですからね。

2022年7月8日 12:07
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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

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