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親友(女性)との関係に悩んでいます。

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初めてご質問させていただきます。40代後半の主婦です。
30年来の親友(女性)との関係に悩んでいます。
何もかも分かり合っている関係であればこそのなやみです。
彼女と私の友人の男性含め何人かで食事に行ったことがきっかけで彼女とその男性が2年前からお付き合いを始めました。(皆様既婚者で子供もいます。いわゆる不倫です)
それ以来私の友人関係と二人の関係がごっちゃになってしまい困惑しています。
また彼女は自分の性的魅力をPRするのがうまく他にも何人かボーイフレンドを作りいかに自分がもてるのかいつも自慢話をされています。
わたしの男性の知人も皆様ノックアウトされているようです。。(笑)

その友人たちはもちろん彼女の不倫関係など実態は知らないです。

問題は自分の気持ちなのです

彼女のことは好きだし友人として誰より頼りにしています。

華やかにもてている彼女にコンプレックスをかんじ嫉妬してしまう自分がいや。
そのくせ彼女に頼る自分がいや。
困ったことがあると一番に助けてくれるのはいつも彼女です。でも利用されているようにも思います。

もやもやしてしまいうまく伝わらないかも知れませんが、この気持ちを整理する、きっかけがほしくてご質問させていただきました。
今後も彼女とは付き合いたいと思っています

お坊様に何かアドヴァイスをいただければありがたいのです。
よろしくお願い申し上げます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どのみちあなたはその彼女ではない

人間というものは完ぺきではありませんから、彼女とて不倫やモテること、何らかの形で必要とされること、注目を集める事で自分のスキマや劣等意識を埋めようとしている姿なのだと思うことですよ。
また、人間は完璧でないのです。だからこそ、あなたも彼女に友達としての最上最高完璧を要求しないことです。
以前私は高価なグラス(3000円)を買いました。薄さ、透明感、口当たりの良さ、味がストレートに伝わる大変良いグラスでした。ところが洗っている時にうっかり手を滑らせて割れてしまい、私もケガをしました。
完ぺきなグラスでしたが❝私の取り扱いで❞台無しにしてしまいました。
扱いを間違うと彼女もあなたもケガをするということのたとえです。
彼女との人間関係は、あなたが何処に焦点を当てるかによって変わります。
彼女とは24時間いる必要はありません。一緒にいない時にまで彼女の事で頭を悩ますという事は、あなた自身の中に彼女に対する理想の押し付け、完全性の要求がある、と思ってください。気づかないものですがそれも欲なのです。
それを控える事であなたはあなたを生きる事ができます。貴女が強い心を持てば、彼女もあなたの心を求める事が無くなり、尊重します。
あなたがぐらついているので、彼女も本能的にそれを察知してあなたを利用するようになるのです。
貴女が彼女との比較や劣等感を持たずに対等になるためには、貴女が強い意志を持つことです。もう一度トップから読み直して頂ければ、貴女が控える、慎むべき事が何であるかがハッキリとみえてくると思いますのであとは実践あるのみです。

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下様
的確なお言葉ありがとうございます。
彼女に寄りかかり、おもねり、自滅傾向にあることは、おぼろげながら見えて参りました。
少しづつ上手に距離をとりながら、自分を、見直していく努力をしていこうと思います。

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