ホッとする自分が嫌い
私は過去に沢山の人を傷つけそれが最低な行為だったことに毎日思い出しては反省し二度としないようにながら今まで過ごしてきました。完全に自業自得なのですが苦しくなってしまうこともありここハスノハで似たような境遇の人の質問を拝見していました。でも最近お坊さんの返信で「仏は許してくれている」、「阿弥陀如来が救ってくださる」という言葉をみて自分がホッとしていることに気づきました。
結局自分は罰が怖いだけなんです。自分が被害者だったら相手が処罰されることを望んでいるくせに加害者に立ったら罰を受けるのが恐ろしいんです。いま相手に申し訳ないと思う気持ちも相手に許してもらって罰を避たいから芽生えた気持ちなのかもしれません。
反省してると言いながら何も成長せずこんな気持ちを持っているならきっとまた同じことを繰り返します。どうしたらこの気持を消すことができますか。拙い文章ですが返信よろしくおねがいします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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そう思うなら…
くりさん、あなたがそう思うなら、今まで酷いことをしてきた人に謝りましょう。具体的になにをしたかはわかりませんが、手紙なり、メールなり、電話なり、直接会うなりして謝りましょう。
その時は許してもらえなくても良いと思います。
私は小学生のとき靴を毎日隠されるいじめに遇いました。学校にばれても加害者は私に謝ったことはありません。今でも憎いですね。この年になれば思い出でこのように啓発も兼ねて語れます。やっぱり謝って欲しいですね。多分、からかい半分でしたから悪いとは思ってないと思いますが、あなたみたいに反省しているなら謝って欲しいですね。
私は僧侶だし、中年だし、今さら許さないほど子供ではありませんね。
あなたが謝罪するのは仏様ではありません。同じ世界に住んでいる人間です。あなたの被害者です。
私の意見は参考までに…
質問者からのお礼
大鐵さんお返事ありがとうございます。やはり加害者の私には被害者に誠心誠意あやまるしかできませんよね。今は疎遠になっている人もいますが生きているうちにちゃんと謝罪ができるようにがんばります。とても参考になりました。本当にありがとうございます。