失って悲しむなら手にいれない方がいい?
こんにちは、私はよくも悪くも情が強く、
大切なものが失われたときはショックが強いです、例えば自身の健康であったり抽象的なものでもです。
共に生活している親が後二十年いないに死んで居なくなるということが悲しくて
それなのに心のなかではイラついたりバカにしたりするときがあります、これは普通ですか?
悪意であることをごまかしているのか
情が移らないように相手を拒絶しているのだ、という風に今は納得しています
今度一人暮らしまた始めるのでまた親の有り難みを実感するのですが、自分はバイトでフラフラしてるので親不孝ものでもあります
ニュースなどで事故や災害で大切なものをなくしている方を見ると落ち込むのですが、自分の周りにもいつか降りかかると思うと怖いです
ならば最初から友達や子供を持たない方が負担が減るんじゃないか、と思うのですが
私は自分から努力をしたことがありません いつまでたってもです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そういう方法もあります
友達や子供を持たないことで、別れる悲しみを予防する。
そのような生き方も選択の一つです。
出家した僧侶も、元々は家族を捨てて世俗から離れて修行していました。
執着は悩み苦しみストレスの原因になります。
全ては変化する。
出会いあれば別れがある。
それは真理ですね。
改めて有難さを実感できると思います
拝読させて頂きました。
生きている中では大切な人とも別れなければなりませんし、大切なものごととも別れなければなりませんよね。それはとても悲しいことですし辛いことでもありますよね。あなたがその辛い思いをできれば避けたい、或いはなかったものとして悲しい思いを軽減したいと思われるのもとてもよくわかります。あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
仏教では四苦八苦の中でそのことを「愛別離苦(あいべつりく)」と言っています。大切なもの愛するものと離ればなれになければならないことは本当に辛い苦しみだと説いています。ですからそれは誰であってもその大きさや深さに多少の違いはあれども感じるものです。
私達はたった一人で生まれてきたわけでも孤立無援で誰とも関わりがないところにいるわけでもありません。不思議な奇跡的な巡り合わせの中で親から命を頂いて沢山の方々に愛情を注がれて育てられながら成長して今を生きているのですし、これからも大切な方とのご縁の中で生きていきます。そして与えられた天寿を全うしてこの世を離れていくのですからね。とはいえそのご縁が切れるわけではありません、亡くなった後でも親しい方々とのご縁はこれからも続いていくのです。
病や老いやその寿命によって肉体は移り変わっていきます、いつまでも永遠の若さでいられはしませんし、その肉体が滅びる時は必ず来るのです。どんなに科学技術が進んでいったとして決して今の状態を常に同じ状態で維持していくことは不可能です。遺伝子情報によって伝達していくシステムはあったとしてもそれは移り変わっていくものです。でも心は存在して多くの方々と一緒につながりを持ち続けていくのです。
諸行無常を認めできる範囲で理解してきながらも、そのご縁を大事にしてつないでいくことはできるのです。どうか宜しければその様な仏教の教えを学んでいってみて下さいね。
そしてあなた自身のことや周りの方々とのご縁を大切になさって実感なさっていくことはこれからも出来ますからね。
あなたがこれからも大切な方とのご縁を感謝なさりながら健やかにご成長なさっていかれます様に、かけがえのない大切な人生を皆さんと一緒に心から豊かに幸せに生き抜いていかれます様にと切に祈っています。
質問者からのお礼
お二人とも、ありがとうございます
心理だけどどこか悲しいことですね