仕事で悔しい思いをしたときの対処について
現在、医療職をしており、とても忙しい部署に携わっています。その職場の上司で、見下すような態度を取る人がいて、とても悔しい思いをしています。
先日、自分にも至らないところはあったと思いますが、自分の発言に対して威圧的な態度で全否定され、バカにされているようにも感じました。その上司は、私だけでなく、自分よりも下に見ている他の同僚スタッフに対しても、そのような態度で接することもあります。注意を受けるというよりも、心に強いダメージを負わされるという感覚になります。
相手の性格なので、どうしようもないことなのかもしれませんが、そのような人と接するとき、私はどのような心構えでいたら良いでしょうか。
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人を見下す人ほど心が弱いですね
ぼたんさんこんにちは。
私も教員をしており、職場で威圧的な態度をとられたり、周りにあわせわれないことが原因で、現在休職しております。精神科にも通い薬を処方してもらいました。本当に、他人への言葉とは人を壊し、傷つけるものだと思います。それを受け止める必要もないし、受け入れる必要もないと思います。
今の状況において、私の想像を絶するほどの多忙さがあると思います。本当にありがとうございます。医療従事者の方々のおかげ様で今の日本があると思います。ありがとうございます。
さて、このように多忙な中でこそ人と助け合い、繋がり合わなければならないのに、人を見下すような人がいるのはなぜでしょうか?その原因は、複数あると思います。
まず一つ目は、余裕がない状況だからこそ、自分が感じているストレスをその人が周りに当てる事で楽になろうとしているのではないかと思います。そのように人を見下し、自らを上げることで優越感に浸り、自分を癒そうとしているのかもしれません。
二つ目は、人を見下している自覚なくそのような言葉を発しているのではと思います。自分は普通に言っている(と本人は思っている)ために自分の言動に無自覚なのかもしれません。
三つ目は、そのような言い方をされてこれまでの人生を送ってきたのではないかと思います。家庭環境等、その人を取り巻く人たちがそのような見下す言葉がけをその人にし続けたがために、そのような言葉をかける人間に育ってしまったのかもしれません。
いずれにせよ、その人自身も実に悲しい人であることには変わりません。人を傷つけていることに気づけないまま生き、意識的にせよ無意識的にせよ人を踏みにじって生きているのですから。程度の大小はおいておき、我々にもそのように誰かを踏みにじって生きているところもあるかもしれません。その人を鏡に私も気をつけようと思うことが大切なのかもしれません。
その人が言うことを真面目に受け取る必要はないと思います。避雷針が如く、体に向かってきたら、地面に流れるように聞き流そうという思いをもってもよいのかもしれません。
また、可能であれば「私は、そのような言い方をされると悲しいです。」と伝えてみるのもよいかもしれません。それが分かれば相手は変わるかもしれません。
ぼたんさんの質問にお答えする中で自分の問題とも向き合うことができました。
質問者からのお礼
ご回答頂きありがとうございました。回答を読んでいて、とても癒やされました。今後は人の悪意ある言動に振り回されることなく、受け流す努力をしてみたいと思います。また、まだまだ私も至らないところはあると思うので、少しでも向上できるように努力していきたとおもいます。