キャラクターを仏様になぞらえて描く事
私はイラストを見る事が好きで、イラスト投稿サイトをよく拝見するのですが、その際あるイラストを見つけ、少し気がかりに思ってしまいました。
仏画風のイラストと言うのでしょうか。漫画のキャラクターを仏様になぞらえて描いているようです。これは問題ないのでしょうか。拙い質問で恐縮ですが、ご回答頂けますと幸いです。
参照
https://drive.google.com/file/d/1FU0_Wh_x8-5QxLFdiqBIuzj5Pbpq45FO/view?usp=sharing
・上記リンク先のファイルに、問題のイラストへのリンクを記載してあります。
・イラストを描かれた方へのご迷惑、又は晒し行為にならないよう、このような形を取らせて頂きます。お手数をお掛けしてしまい申し訳ございません。
・ご回答を頂けましたら、この質問からイラストにアクセスできないよう、上記リンク先のファイルは削除致します
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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まあまあ、今さらですね
なのさん、私の見解を述べさせていただきます。
結論から言うとアリですね。漫画は昔からキャラクターを鬼や仏になぞらえて描いてきたのを知っていますから、今さらですね。
藤子A不二雄先生は実家がお寺なので、観音様や大仏に見立てたキャラクターを描いてきたのを覚えております。
日本は憲法で表現の自由をが保障されております。仏教をリスペクトしているなら別にいいと思います。
キャラクターや仏像の先にあるものは何か
そもそも仏像とは仏像が先にあったのではなく、その仏像を通して言わんとするところの精神性が先にあったのであり、その精神性や心のありよう、内容は元々人間が発祥です。
不動明王ならば、その不動なる精神、あらゆる悪や苦しみを焼き尽くし、断ち切り、より良い心へと導かんとするその精神は人間にある。人間にあると言っても他人事にしてはならない。各自がその心を燃やしてその不動の精神、菩提心の精神に自己を導く、引き出す、共鳴する。
昔の人にとってはその不動明王の像がそれを弾き出すのに優れたカタチをしていたということでしょう。現代では現代の人に通ずる描かれ方があってもよいでしょうが、方向がズレてはならないと思います。キャラクターがメインになることはあくまでキャラクターがメインになる。
人間は本来誰もが不動明王の精神性を持っているのです。
また一方ではお盆で描かれるような餓鬼という自己中心的なエゴイズムの精神、我欲の精神も持っている。それを手なずけて、おさめて、ころがし、要らぬ作用しか生み出さないことを恥じて、慎み、先祖たちとの関わりを知り、この時代にあってこの自分の命がどう用いられるべきかを世間の痛ましい状況を慮りつつどう導いていくか。それが今、夏の最中の行事、お盆の大切さというものです。
お盆も単に先祖供養、お墓参りというだけではなく、自分の精神性が高まっていくようであってはじめてよい供養となるわけです。同じようにあなたが今問題視されていることもその作者の方への気のきいたご配慮があるように、できる限りより良いカタチ、より良い功徳、より良いありかたとして世間に浸透するように転ぜられれば良いのです。ちょっと前はSNSが流行り始めたばかりで、他人のことについ口をはさんで炎上っせより酷い火で焼き尽くすような活動もありました。
仏教が良いカタチとなるということはサブカルチャーがメインになることではなく、たとえサブカルチャーであってもその元々の精神性が何であるかが人に伝わり、人間本来持ち合わせている素晴らしい功徳、能力、種智、観音力、不動力、悟りの精神が引き出されることが大切です。今の日本はそこを求めずただ何やらよくわからないものをナムナムしているようなところがあります。そうじゃないのだぞ、とお不動様がご教導している姿をあなたが何を見るにしても見出せばそれが本人の発菩提心、発大清浄願となるのです。
こんにちは。
仏様に対して侮辱するようなものであったり卑猥な内容な絵が描かれたとしたら、お坊さんの立場として、もしかしたらひとこと言いたくなるような事もあるかもしれません(先の回答僧のお答え通り表現の自由が保障されているので本当にひとこと言うようなことはしないでしょう)が、おたずねの絵については立派なもので、漫画のキャラクターに対しても仏様に対しても敬意をもって描かれていると思いますので、問題はないと思います。
ただし、私は専門家ではないので詳しくはわかりませんが、法律的な視点から見ますと、漫画のキャラクターなどの二次使用・二次創作は基本的には違法になるという話を聞いたことがあります。ファン活動の一環として「黙認」されているというのが現状なのでしょう。