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キャラクターを仏様になぞらえて描く事

回答数回答 3
有り難し有り難し 31

私はイラストを見る事が好きで、イラスト投稿サイトをよく拝見するのですが、その際あるイラストを見つけ、少し気がかりに思ってしまいました。

仏画風のイラストと言うのでしょうか。漫画のキャラクターを仏様になぞらえて描いているようです。これは問題ないのでしょうか。拙い質問で恐縮ですが、ご回答頂けますと幸いです。

参照 
https://drive.google.com/file/d/1FU0_Wh_x8-5QxLFdiqBIuzj5Pbpq45FO/view?usp=sharing

・上記リンク先のファイルに、問題のイラストへのリンクを記載してあります。

・イラストを描かれた方へのご迷惑、又は晒し行為にならないよう、このような形を取らせて頂きます。お手数をお掛けしてしまい申し訳ございません。

・ご回答を頂けましたら、この質問からイラストにアクセスできないよう、上記リンク先のファイルは削除致します

2022年8月17日 21:01

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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まあまあ、今さらですね

 なのさん、私の見解を述べさせていただきます。
 結論から言うとアリですね。漫画は昔からキャラクターを鬼や仏になぞらえて描いてきたのを知っていますから、今さらですね。
 藤子A不二雄先生は実家がお寺なので、観音様や大仏に見立てたキャラクターを描いてきたのを覚えております。
 日本は憲法で表現の自由をが保障されております。仏教をリスペクトしているなら別にいいと思います。

2022年8月18日 0:24
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有り難し
おきもち

ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
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キャラクターや仏像の先にあるものは何か

そもそも仏像とは仏像が先にあったのではなく、その仏像を通して言わんとするところの精神性が先にあったのであり、その精神性や心のありよう、内容は元々人間が発祥です。
不動明王ならば、その不動なる精神、あらゆる悪や苦しみを焼き尽くし、断ち切り、より良い心へと導かんとするその精神は人間にある。人間にあると言っても他人事にしてはならない。各自がその心を燃やしてその不動の精神、菩提心の精神に自己を導く、引き出す、共鳴する。
昔の人にとってはその不動明王の像がそれを弾き出すのに優れたカタチをしていたということでしょう。現代では現代の人に通ずる描かれ方があってもよいでしょうが、方向がズレてはならないと思います。キャラクターがメインになることはあくまでキャラクターがメインになる。
人間は本来誰もが不動明王の精神性を持っているのです。
また一方ではお盆で描かれるような餓鬼という自己中心的なエゴイズムの精神、我欲の精神も持っている。それを手なずけて、おさめて、ころがし、要らぬ作用しか生み出さないことを恥じて、慎み、先祖たちとの関わりを知り、この時代にあってこの自分の命がどう用いられるべきかを世間の痛ましい状況を慮りつつどう導いていくか。それが今、夏の最中の行事、お盆の大切さというものです。
お盆も単に先祖供養、お墓参りというだけではなく、自分の精神性が高まっていくようであってはじめてよい供養となるわけです。同じようにあなたが今問題視されていることもその作者の方への気のきいたご配慮があるように、できる限りより良いカタチ、より良い功徳、より良いありかたとして世間に浸透するように転ぜられれば良いのです。ちょっと前はSNSが流行り始めたばかりで、他人のことについ口をはさんで炎上っせより酷い火で焼き尽くすような活動もありました。
仏教が良いカタチとなるということはサブカルチャーがメインになることではなく、たとえサブカルチャーであってもその元々の精神性が何であるかが人に伝わり、人間本来持ち合わせている素晴らしい功徳、能力、種智、観音力、不動力、悟りの精神が引き出されることが大切です。今の日本はそこを求めずただ何やらよくわからないものをナムナムしているようなところがあります。そうじゃないのだぞ、とお不動様がご教導している姿をあなたが何を見るにしても見出せばそれが本人の発菩提心、発大清浄願となるのです。

2022年8月18日 9:26
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有り難し
おきもち

こんにちは。

 仏様に対して侮辱するようなものであったり卑猥な内容な絵が描かれたとしたら、お坊さんの立場として、もしかしたらひとこと言いたくなるような事もあるかもしれません(先の回答僧のお答え通り表現の自由が保障されているので本当にひとこと言うようなことはしないでしょう)が、おたずねの絵については立派なもので、漫画のキャラクターに対しても仏様に対しても敬意をもって描かれていると思いますので、問題はないと思います。
 ただし、私は専門家ではないので詳しくはわかりませんが、法律的な視点から見ますと、漫画のキャラクターなどの二次使用・二次創作は基本的には違法になるという話を聞いたことがあります。ファン活動の一環として「黙認」されているというのが現状なのでしょう。

2022年8月18日 8:46
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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

神様も仏様も、必ずしも信じられない

以前「何を信じて生きていけばいいかわからない」ということで投稿させていただき、ご回答もいただいたのですが、やや気になる点があり追加で質問させていただきたく。 自分としては誠実にあろうと生きたつもりでした。 でも、家族間でも、仕事でも、あったことをなかったことにされてみたり、なかったことをあったかのようにされてみたりで責められ、うつ病にもなり、とうとうここ1年半くらいは引きこもりや寝たきりに近い状態になってしまいました。 物の善悪も、何を信じて生きていけばいいかもわからなくなりました。 それでも回答をいただき、自分を大切にして、やはり今までの自分を信じて誠実に生きていく方が良い方向へ向かえるだろうと思えてきました。 そうする中で、もう一回本気で取り組める仕事にも出会いたいし、楽しい趣味も見つけたいし、心穏やかに落ち着いて生きていきたいとも考えています。 ただ、「神様や仏様は見ている」という言葉が回答の中にあり、少し暗い気持ちも残ってしまいました。 神様や仏様がいるのなら、どうしてここまで至る前・・・あの時に助けてくださらなかったのか。あの時、あのひどい扱いをしてきた者たちに報いを与えて下さらなかったのか。もし私が間違っているというのなら、こうなるまでにそれを教えて下さらなかったのか。何ならば、今の私を救ってくださらないのか。何が足りないというのか。 そんな汚い感情を払拭することが出来ません。「神様仏様はそういう都合のいいものではない」、もしかすると「私が以前の何かの報いを受けているだけだ」、と言われてしまうかもしれませんが・・・。 そう考えると、 『本当に今まで通り真面目に誠実に生きる方向で大丈夫なのか?』 『今までの道徳をすべて捨て去るようなこともしなくていいのか?』 『それで「誰かに都合のいい人間」でなく、自分が良い人間となり、よき人生を送れるのか?』 汚い感情と一緒に、まだそういう迷いも多少残っています。 「よき人生を送れるかはわからないけど、無理に全部変えないで、今までのものをアップデートする形で十分じゃないかな」とは思うのですが。 神様や仏様に求めすぎるような汚い思いや、そもそも神様や仏様といった存在にどう向かいあうべきなのか。そして落ち着いた心で生きるためのアドバイスをいただけますと幸いです。

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薬師観音様にご挨拶した時のことについて

#お参り#仏像・仏様・阿弥陀・観音 初めて相談させて頂きます。 ありがとうございます。 観音様にご挨拶した時の不思議な体験について、何か気づきを得させて頂ければと思い投稿させていただきます。 よろしくお願いいたします。 先日、お客さんから、川見四季桜が綺麗だったよ、栗きんとんが美味しいよと教えて頂き、天気が良い日に母と出かけました。 可愛らしい桜と、綺麗に赤く染った紅葉と、綺麗な和紙の作品と色々見て、有難く大満足な1日でした。 桜と紅葉を楽しんでいたところ、川見薬師寺に続く階段を見かけて、ご挨拶しようと、急な階段でしたので慎重に登って行きました。 やっとの事で登りきると、正面少し奥に、薬師観音像が見えました。 その時、観音様は私から見て右真横を向いていましたが、一瞬で正面を向かれ、目が合いました。 明らかに目の前で起きた事への理解が追いつかず、何か見てはいけないものを見てしまったのではないかと暫く見つめ合ったまま固まってしまいました。 母に促され、観音様の目の前まで来て、先程のことは一旦離れて、感謝とご挨拶をしました。 先程感じた強い違和感は無いものの、やはり目が合い、微笑んでいるように見えました。 ふと、右真横の目線の先が気になり、確認しに行くと、お寺で飼われている、老犬がいました。 わんちゃんにも挨拶したあと、少し下った先にあるお清めの水が湧き出ている場所に行き、そちらの観音様にご挨拶した際も、やはり目が合い微笑んでいる感じがあり、また呼吸して生きている様に見えました。 その日は1日とても楽しい体験をさせて頂き、ありがとうの気持ちでいっぱいでした。 加えて、人生で初めての体験、感覚ばかりでしたので、不思議に思っております。 拙い文で申し訳ありません。 改めて、よろしくお願いいたします。

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観音様へのお願い事について

とある観音様が祀られているお寺にお参りに行った際の事ですが。 初めて訪れたお寺でした。 ウロウロしていると案内して下さる方が出てきて、一通り大まかに説明して下さって、そしてお参りする際に、 「~いくらでもお願い事して大丈夫ですよ~」 と、確か言った気がしました。 一瞬「聞き間違えたかな?…」と思ったのですが…。 観音様のご利益を検索すると、 「…あらゆる願い事を叶える、救いの手を差し伸べる、云々…」らしく載っているのを散見できます。 ですが、参拝者がお参りする際、お賽銭(お布施)って、5円、10円、100円…とか小銭をする場合が凡そ大抵だと思います。 知識がある人なら封筒包で千円単位を包む事はあると思いますが、少数かと思います。 ※ちなみに、神社へのお参りの場合、願い事の規模の大小に依ってそれなりの金額をお賽銭すべきであろぅ、といぅ意見/考え方を聞いた事はあります。 いくらでもお願い事して大丈夫…とは言え、小銭程度で5個も10個ものお願い事するって対価に合わないんじゃ…と想像したのですが、 「Q:そもそも観音様ってお賽銭の額が小銭だから云々…に関わらず、人々の願い事を個数に拘らずに聞いてくださる仏様なのだろうか?という素朴な疑問です」 まぁ、他の仏様、如来/菩薩/明王様…の場合はどうなのか、も詳しく存じ上げていませんが。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ