治療してもよくなっていかない
前回相談させて頂いてから仕事を退職し2ヶ月程になります。
仕事を辞めて、身体を労わる生活をしていますが、今までの疲れが取れないのか心身共に不安定になるときがあります。
仕事をしている時から歯の根の治療をしています。一年半ほどたちます。
元々学生の頃から調子が悪いのを歯科治療が怖く放置、20歳ぐらいにやっとかかり治療をしたもののすでにかなり悪くなっていたようです。その頃の私はおきらくなもので治療したら治るだろうと思っていたのですが、なかなか難しく10年ほど経ちました。(その歯科で治療は一旦終わり、調子が悪くなれば行くというような感じで継続してメンテナンスに行かない期間もありました。その時には歯科は定期検診が大切だと知りませんでした。)しかし、去年にふと通っている歯科は設備がかなり古くそこで治療し続けていいのかと疑問になり設備の新しい自費診療の根の専門の歯科に変えました。
そこで、かなり今の状態に驚かれ、通常なら抜歯、それも一本では済まないかも、でも、やれるだけやってみようと治療が始まりました。忙しいなか時間を作り、毎週通い、落ち着いたと思ったら悪くなり、また再治療となりました。
今まで通った歯科では何も言われなかったのですが、わたしの噛み合わせもかなり悪いようです。他の歯に負担をかけてしまい、いずれ悪くなるそうです。そんなの全く知らなかったし、この歯の状態では矯正をしたくてもできません。
痛いし、治療を続けているのに良くなっていかないし、辛くて辛くてたまらなくなってしまいました。どうして早く治療しなかったのか、どうして今まで通った歯科は何も言ってくれなかったのか、など考えてもどうしようもないことをずっとぐるぐる考えて自分が悪いんだと思って責めてしまっています。
元ですが、医療職なのに自分のこととなると冷静になれずこんなに不安定になって情けないです。
また、治療により食事も今までのようにできず好きなものが食べられないなどかなりストレスがたまります。
治ってほしい、でも良くなっていかない、このような時にはどのような気持ちでいればいいのでしょう。
アドバイスいただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「手当」看護の原点ではないでしょうか。病を抱えたまま生きる道
前回の質問も読ませていただきました。
痛みを抱えたまま日々を過ごすのは、しんどいことですね。治っていくと思えば希望も持てますが、どうなるかわからないとなると、不安や恐怖に襲われますよね。
私は毎日、高齢者と接しています。お参りもですが、在宅ケアもしています。ケアをするのは、医療従事者だけじゃないのですよ。
高齢者の多くは、老いを実感しながら、「なんでこんな身体になってしまったのかな」と老いによる不自由さや、自身が抱えておられる病や痛みに耐える毎日。
人生を振り返って、「もっとこうしていたら今が違っていたのかな」と後悔や愚痴を聞かせてもらっています。
それでもね、そんな老.病.死の不安を抱えながらも、その苦悩を仕方がないで終わらせずに、話していきながら一緒に生きてくれる人がいる。耳を傾けてくれる理解者がいるということが、大きな心の支えにもなってくるのです。
看護師は、医師のサポートだけでしょうか。
「手当」看護の原点ではないでしょうか。
病を抱えたままでも、救われる手当てがある。
治療の進行は、医師に尋ねていきましょう。そして、受け入れていくという心構えも。
一人で抱えきれないとき、話せる場所、聞いてくれる人、共に生きてくれる存在。そんな環境も見つけていきませんか。
もちろん、ハスノハも。
あなたの不安が、少しでも和らぎますように。