犬の虐待について
私は数ヶ月子犬を里親から引き取りました。
先住犬もおり、2匹に愛情を持って接していました。子犬はとても繊細で臆病な子でしたが精神的に不安定な面があり環境が変わったからかな?慣れるまで待とうと決めました。ですが一向に不安な気持ちは取り除くことが出来ず仕事も休みを頂きしばらく向き合おうと毎日奮闘していました。時間をかけ原因を見つけようとしました。それでもわからなかった・・
数ヶ月後の散歩中、突発的な行動で私は怪我をしました。わざとではないから仕方ない。と言い聞かせました。
それからもえ?どうして?ということが立て続けに起こり(書ききれないので端折ります)
私の中の糸が切れ気付いた時には首元を掴みケージに入れて出しませんでした。
少しのことでも気に触り、叩きつけました
その度にキャンキャンと甲高い声で鳴き、私は怒りが止まりませんでした。
ついに蹴り飛ばし浴室に沈めました。我にかえり引き上げた時はまだ息はありましたがその場から離れ戻るとショック状態になって動かなくなり亡くなりました
先住犬も怒る度に駆け寄ってきてたのに仲良しだった子犬が居なくなった事を悟りご飯も食べなくなりました
手をあげる前からずっと家族や友人にもSOSを出していたのに育てると決めたのはあなたなんだから責任持ちなさいと跳ね返されていました。
亡くなったあとは、なんで言わなかったの?と言われ気力が無くなりました
一番なりたくない自分になってしまった。
ただ不思議とどこかで解放された気持ちもあるのです。
解放感もあるけどそれを上回る罪悪感
亡くなった後はフォルダに入ってる写真も子犬がいた形跡も消しました
大好きだったのに今は好きだったかもわからないんです
居なくなってと毎日言ってました…涙もでません
知恵袋など見ていたらここに辿り着きました。私はこれからどう生きていったらいいのでしょうか。頼れる場所がありません
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こんにちは。
一言で縁と言いましても良縁もあれば奇縁もあったり色々なものがあると思います。
特に言葉が通じない動物が相手なのでストレスが溜まることもあると思います。
ワンちゃんの方も環境やその他条件がたまたま整わずストレスが解消されないままだったのかもしれません。
これはReinaさんに限った話ではなく誰しもが持っているものですが、今回子犬と触れ合う中で周囲の協力が得られなかったり等々の事情が重なり、図らずも己の内にある鬼のような自分の一部を垣間見たりして少なからずショックもあるのではと思います。(そうであってほしいと私が思っているだけかもしれませんが)
お釈迦様の遺訓に倣うならば、今回の件を教訓にしないままであればこの業はやがて灰に包まれた炎が体に纏わりつくように今後Reinaさんの心身をじわじわと苦しめるものになるかもしれません。
奪ってしまった命を無駄にしないためにちゃんと自分に向き合って、もし自分が子犬の側だったら最期の瞬間どんな恐怖を感じただろうか等をよくよく詳細に考え、子犬の供養や己の命も他の命も等しく大切にするという今後の生き方に活かしていってほしいなと願うところであります。
南無阿弥陀仏
亡くなった犬が阿弥陀仏の力で極楽浄土に生まれ変われるように、
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏を称(とな)えましょう。
あとは、仏様にお任せしておけば大丈夫です。
合掌
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶつ なむあみだぶー。
礼拝。
殺生は罪ですが、やってしまったことは仕方ありません。
私達は、嫌いな生物なら平気で殺しています。蚊やダニなど。
仏教的には、哺乳類も虫も同じ命です。
あなただけが極悪人ではなく、大半の人が殺生の罪を背負っています。
日本の法律的には、犬や猫を虐待するのは違法で、蚊を叩くのはOK。
これは人間の勝手な差別かもしれませんが、法律的にはアウトなので、気をつける必要がありますね。
ペットを飼うこと自体、人間の身勝手な行為なのかもしれません。