子供を産むことについての罪悪感
最近疑問に思っている事です。もしよろしければご意見をお聞かせください。
道徳的な視点から見ると、私は子供を産むべきではないと考えています。なぜなら、生まれた子供が幸せになる保証がないからです。
年間80万人が自殺をしているそうです。辛い思いをしている方はもっと多いと思います。自分は幸せだと胸を張って言える方はとても少ないのではないでしょうか。
多くの人にとって人生は苦しみの連続です。この世が天国のような場所ならどんどん産めば良いのですが、生憎そうではありません。多くの問題を抱えていると思います。
反抗期の子供はよく「産んでくれなんて頼んでない」と言いますよね。親は論破したり否定しようとしますが、私は正論だと思います。否定する意味が全く分かりません。自分で勝手に産んだのは事実です。謝る以外の選択肢はないように思います。
結局は愛する人との子供が欲しいとか、自分の子供を持ちたいとか、この限りではありませんが親のエゴで子供が生まれています。
エゴや愛を免罪符にしているとしか思えないのです。
人生は全て苦痛だと言ってるのではありません。もちろん幸せな事もあります。でも苦しい事の方が多いです。
絶対に幸せに出来る、生まれてきたことを後悔させないという保証がない限り、子供を産むことはとても無責任ではないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたは産まなくてもいいが、あなたは既に産まれている
ご相談拝読しました。
あなたの考えはあなたにおいて尊重されるものと思います。あなたがいただいた人生をあなたの思うままに生きてみてください。
でも、あなたの考えを他者や社会一般全てにあてはめるのもまた違うと思います。おっしゃるとおり、親が子を望むということにおいて、あなたの言う「エゴや愛を免罪符にしている」というような側面が全くないかといえばそうは言えないと思います。
しかし、生をいただいて、「生まれて良かった」といえるものに出会った人だってたくさんいらっしゃることでしょう。
さて、社会的な状況も相まってか、あなたのような考えの方は一定数おられるようです。「反出生主義」といいます。さまざまな著書も出ていますので是非学んでみてください。哲学者の森岡正博先生がよくまとめた書籍を出され、Twitterでもそうした投稿を以前よくされていました。どうぞご参考まで。
さてさて、あなたの考えがどのようなものであろうと、既にあなたは生まれているというのが事実です。
であるならば、あなた自身が「生まれて良かった」「私が私で良かった」と深く頷きたいという大きな願いを心の底ではもっていらっしゃると思います。「生まれたくなかった」という思いは、そう頷けない裏返しでもあるかもしれません。
私はあなたの子ではなく、あなた自身にあなたの幸せをあきらめず生きて欲しいと思います。あなたの本当の幸せは、あなたの考えを他者に広めることで成就するものではないと思います。
あらゆるいのちの存在を尊ぶことと、その中で人間が持つ悲しみを深く知ることは、仏教においては矛盾しないものと思います。
どうかあなた自身のために、これから学びを深めてください。そして良ければまたhaaunohaでお気持ちをお聞かせください。
幸せの基準による
現代の日本に生まれた人間の子供は、平安時代の貴族よりも便利で快適な生活、おいしい食べ物を入手できます。
また、海の魚の稚魚やサバンナの草食動物の赤ちゃんのように、常に天敵に襲われる危険もまずありません。
そう考えると、仮に生活保護を受けるような貧困世帯であっても、日本に生まれた人は地球全体の動物の中では比較的幸せな階層ではないでしょうか。
つまり、幸せの基準をどこに置くかは人それぞれだと思います。
日本人の中だけで比較するのではなく、生物全体、仏教的な考えだと天・人・阿修羅・地獄・餓鬼・畜生の六道全体で比較してみても面白いでしょうね。
私はNHKの「ダーウィンがきた!」という動物番組が好きです。
あれを見ていると、動物全体の中の人間という視点が持てる気がします。
生物は、なぜ子孫を残そうとするんでしょうね?
捕食されたりするのを前提に
大量の卵を産んだりする生き物は
死なすのを分かって子どもを産んでいるわけで
それはやはり無責任なんでしょうか?
知恵・知識が発達して
そのような事情が分かった人類は
子どもを産まなくなっていくのでしょうか?
私も
気づいたら生きていました。
死にたくなった時期もあったし
いずれ死ななければならないことも覚悟していますが
生まれてきてよかったとは思っています。
そう思えること自体が有難いのでしょうが…。
未来のことは分かりません。
思い通りにもなりません。
でも
私は生まれてきてよかったし
子どもが生まれてくれて
よかったとも思っています。
それで充分だと思っています。