死んでしまいたいです
こんにちは
SNSでいろんな人の近状が目に入る世の中になりました
私はいま無職なのですが、自分をいじめていた人間や人の悪口をSNSに書き込んでいた人間、周りを追い込んでいた人間の方が世の中図太く生き残っていることが辛くて堪りません。
自分はいろいろ気にしてしまう性格で踏みにじられたら復活するまでに時間がかかります。
でも踏みにじった人間は痛みなんて感じないしそのまま踏みにじり続けながら堂々と自分の道を歩むのが許せないのです
そういう人に限って長い物に媚びてコネクションを作っていくのも許せません。
真面目に生きるだけ損だと思います。
自分も人を傷つけたことがないとは言えません。
自覚できるくらいの傷は誰かに付けてきたと思います。
でもそういう人たちは傷をつけた自覚などないでのうのうと生きてるのが許せません。
とにかく頑張っても自分の性格がこんなんじゃ上手くいくはずがないと思い死のうかなと度々思います。
まとまらなくてごめんなさい
相談じゃなくただ話を聞いてもらいたいだけなのかも知れません。
少しでも楽になれる知恵があったら教えて頂きたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
傷つけた人たちから離れよう。痛む傷を手当てしてあげたいわ。
プロフィールも読ませてもらいました。
辛い経験をしてきたのね。そんな人たちから離れても、あなたの傷ついてきた心は弱ってしまったままなんだね。
なかなか時間を進められなくて、それでも必死に もがきながら生きてきたのに、あの人たちは何事も無かったかのように、平気で暮らしている。傷つけてきた人のことなんて、気にも留めずに生きているようで、許せなく悔しくて堪らない気持ちになるわよね。
あなたがSNSをどんな気持ちで見たのか、あなたが受けた傷がまた痛み出しているのだと思うと、私も悔しいわ。
あなたの傷は、とても大きく深いのね。どんなに頑張って手当をしても、痛いんだね。だから、死んだほうがいいのかなって、そこまで苦しくなっているんだね。
今までの質問も読ませてもらったの。一人だとネガティブになってしまうあなたを、周りから包んであげたいよ。あなたが沈んだら、引き上げてあげたい。あなたが泣いたら、抱きしめてあげたい。傷が痛むのなら、いくらでも手当てをしてあげたいわ。
こうして、あなたが生きるために、一人じゃなく一緒だよと声をかけてくれる人だってきっといるわ。理解しようとしてくれる人も、支えてくれる人だっているんだよ。
死にたくなったら、いつだって話そう。
死にたいほどに辛いなんて、あなたがひとりぼっちに感じるなら、いつだってこうして繋がるわ。
だから、あなたを傷つけた人たちから離れよう。SNSもミュートやブロックをして。これで、あなたの目に触れることがなくなるからね。それでいいんだよ。あなたには、関係のない人たちだもの。切りましょうね。
どうか、優しく心地良いものに触れてね。
いつだって、あなたの味方だよ。
「こうであって欲しい」気持ちを減少することを希望としていく。
拝読させていただきました。
ご質問の内容からすべてを把握することはできませんが、人間は「欲のかたまり」です。それは誰もがです。
そこに「思うように人生がいかない」と思うのも自然なことでもあります。それが欲です。
仏教で説く"求不得苦"である(欲は欲を作り、果てることがなく、求めるすべては得ても得られ続けることはできない。)のです。
人間は歳を重ねるにつれ、多くの知識・経験を重ねていきます。そこに『夢』や『目的』など、自身がやりたい事が見つかったりしていきます。その目的や夢が、自身の【基準】となることが大半です。
例えば)世の中を平和にしたい夢があれば、紛争続く世の中を見聞するだけで疲れたりします。
人の目的や夢なども含め、同じ世代・時代を生きようとも「心に思うことですべての観点」は異なるものです。
しかし、こうであるために。こうでなければならないという自己主張を顕現させていくには、世間を納得させるだけの力量が必要がされます。その力量を人は乗り越えるために「神や仏という見えない存在から」使命感として与えられている"試練"ととらえていくことが肝要であり、悩みが悩みのままにしておくのではなく、悩みを好転する機会と捉えていく気持ちが肝心となってきます。
幾度と到来する悩みことは、欲をもつ人に必ず訪れます。この欲は無くさないものです。仏教では「滅諦」と説いていますが、これも実は翻訳するときの間違いであり、事実は「制御」が正解であり、『欲は無くせないが、小さくすることはできる。』と説きます。
世にいう「小欲知足」です。
あることに有り難みを感じていくことで、欲は減少傾向へと導きます。これは一つの観法でありますので、頭だけで考えては制御できませんが、心で感じていくことで見え難い心を捉えていくこともできます。
釈迦はこのように説きます。
「他人の過失を見るなかれ。他人のしたこと、しなかったことを見るな。自分のしたこと、しなかったことだけを見よ。」
また
「沈黙する者は避難され、多く語る者も避難され、少し語る者も避難される」
ようは、どの時代においても人は、何をしても文句を言われるのであるから、"気にせず、気楽にいこうぜ"って説いてくれているのです。
悩みは辛いですが、悩みとどう向き合うかで悩みを打ち破り、新しい扉が開かれます。それは自身の心の思い方ひとつです
そう思えることありますよね
拝読させて頂きました。
人の心を踏みにじったり傷つけて平気な顔してのうのうと生きている人達のことを見るととても許せないと思ってしまうのですね、真面目に生きるだけ損だと思われるのですね。
そして頑張ったとしてもこの様な自分では上手くいくはずはないと思ってしまい度々死のうかと思ってしまうのですね。
あなたがその様にお感じなさるお気持ちもわかる様に感じます。あなたの辛いお気持ちや悔しい思いを心よりお察しします。
今あなたがその様に思ってしまうのも無理からぬことかもしれません、詳細なあなたの今まで生きていらした人生はわからないですけれども、一生懸命に必死で頑張ってきた自分を尻目にSNSで勝ち誇る様に自分のことをアップしておられる人達の姿を見ると本当に辛いくなってしまうでしょうし、怒りや憎しみも湧いてきてしまうかもしれません、その様に見える世の中もあるかもしれません。
今ひとまず少しあなたの辛いお気持ちをお話しなさって下さい、そしてゆっくりと呼吸をなさってみましょう。ゆっくりと吸い込んでから、ゆっくりゆっくり息を吐いていきましょう。ゆっくりと繰り返してみて下さいね。あなたは誰に教わった訳ではなくしっかりと呼吸なさることできます。そしてあなたは今もしっかりと生きておられるのです。
あなたを傷つけてきた人達や踏みにじってきた人達のことはしばらく放っておいてもいいかもしれません。
その人達はその人達なりに色々試行錯誤してきたのかもしれませんし、あの手この手で生き延びるすべを使ってきたのかもしれません。とはいえそれは本当に些細なことなのです。もしかしたら目先の損得勘定ばかりに振り回されて本当に大事なことを見失っているのかもしれませんし、SNS上の内容についても見た目だけの表面的なことばかりかもしれません。ですから実はあまり気に留める程のことはないと思います。
今あなたは先の見えない中におられる様に感じるかもしれませんけれども、あなたのこれからの未来は決して休むことなく続いていくのです。目には見えなくても感じなくとも少しずつあなたの人生は動いているのですし、移り変わっていくのです。
あなたのお気持ちをできる範囲でここでおっしゃって下さい、そしてあなたの心の中を少しずつでも軽くして楽になさって下さい。
あなたを心よりお待ちしております。