苛まれ続けるのならば死を選びたい
この世に因果応報はないのでしょうか?
私は学生の時に集団いじめを受け、卒業してからも今までずっと容姿のことで批判されたり、外出先で出くわそうものなら大声で悪口を叩かれるので一時期は買い出しすら恐怖でした。
やはり、そういった出来事が自分の中で積み重なって性格も歪んでしまい、大学生活はずっとひとりぼっちで、国家試験も落ちて、現在は毎日泣きながら予備校に通っています。
極めつけに、私をいじめていた女共は今彼氏もできて、友達に囲まれて幸せそうです。
現在は遠く離れた土地にいますが、腐れ縁っていうのですかね、以前ばったり会って、それはそれは幸せそうでした。
私は信頼できる友達も、相手もいないのに。
ふとした瞬間に、涙が溢れます。
予備校にいるときに泣きたくなかったのに、この間はついこぼれてしまいました。
常に、幸せそうな人を見ては憎んで心の中で貶してしまう自分が嫌で、日頃から出来損ないの社会不適合者と、自分を罵ってしまいます。
正直言って、恋人が欲しいとは思っていません。ですが、いじめてきたやつらは幸せで私はどん底にいることが悔しくて、情けないですし、
街で仲の良さそうなカップルをみると、微笑ましいより、憎しみが湧いてきてしまいます。そして「私はそういう相手がなんでいないんだ」とか、普段なら考えないことも考えてしまいます。
多分、恋人が欲しいというのは、女に生まれてしまったことによる生存本能だとわかっているのですが、今の状況が惨めすぎてそんなつまらないことに囚われてしまっています。
この様な劣等感に、苛まれ続けない良い考え方があれば教えていただきたいです。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
傷付いている自分から学ぶことを
しろねさん、お悩み拝読しました。長い間お辛い思いをしてきたのですね、今は、その傷ついているご自身を大切にしていただきたいと思います。
誰でもいじめられたり、悪口を言われれば、傷付きます。自分から傷つきたいと思う人はいないし、もし、悪口を言われて傷付かないとしたら、感情を殺しているように思います。大切なのは傷付かないことではなく、傷付いた経験から何を学び、自分で自分をどのように癒してあげれるか、なのだと思います。
自分の一番の理解者は自分です。その自分を見放してしまうということは、自分で自分を傷つけてしまうということ。自分で手当をして、我慢している自分によく頑張っていると褒めてあげてください。
自分に優しくなれれば、その雰囲気は周りの人にも伝わって誰かを癒す存在になれます。柔らかな心を大切に、そして自分を愛おしみ、自分のいる環境を少しでも温めてみてください。そして、一人だと思わずに、いつでもまたハスノハにご相談ください。
「人間」という概念は幻
仏教では、私達が頭で考える概念は、幻みたいに実体が無いと考えます。
人間という概念、人間の女という概念も幻です。
一人一人、一匹一匹がバラバラの生きものです。
それなのにあなたはなぜ、人間の女と自分を比べるのでしょう。
たとえばミミズやセミと比べてみれば、かなり優秀だし、恵まれた生活を送っています。
地球レベル、宇宙レベルで考えたら、あなたは意外と不幸ではないのです。
なお、因果応報はあります。
他人をいじめる人は怒りっぽい、イライラしやすい性格です。
その人は、怒りやイライラのストレスの苦しみを受けます。
そう、実は、あなたをいじめた人々は、あなたをいじめている時が一番ストレスを感じて因果応報で苦しんでいる時期だったのです。
自分の煩悩のせいでもがき苦しんで他人に八つ当たりしていたのです。
あなたも、同じように、怒りの煩悩で苦しんでいるでしょう。
自分自身の欲・怒り・怠け・プライドの煩悩で苦しんでストレスを受けるのは、自分自身なのです。
それが因果応報です。
怒れば怒るほど怒り癖がつき、悲しめば悲しむほど悲しみ癖がつき、その心の癖は、苦しみ癖・ストレス癖になって、自分を苦しめるのです。
過去への執着を手放し、怒りや不平不満の妄想雑念の頻度や時間を減らし、苦しみにくい性格に改良しましょう。
それもまた、因果応報(悪い心のままだと苦しみ、修行すれば幸せになる法則)です。
質問者からのお礼
盲点でした。確かに自分をないがしろにしているままでは何も始まりませんね。
ありがとうございました。
(追記)
願誉浄史様もありがとうございました。
お二人とも目からウロコのご意見ばかりで、大変ありがたいです。感謝致します。