母の死
こんにちは
初めて質問させてもらいます。
今年の1月母が癌で亡くなりました。闘病生活1年、入退院を繰り返し、効果があると言われれば温泉にいったり、食生活を変えてみたり、他県の最先端の治療を受けにいったりと色々走りました。一時はいい方向にいきましたが結局癌を止めることはできませんでした。先生にもう本人の好きなことをしてゆっくり過ごしてくださいと言われましたが2月に産まれる私の子供が見たいからと最後まで 諦めず治療をすることを選びました。闘病中、母は私に1度だけ苦しいもう治療をやめたいと言いました。私は心の中でもういいよと思いながらも諦めるの?と言ってしまったのです。その時は治療を信じるしかなかったのです。母は自分でまず3年生きるだから頑張ると言ってくれましたがたぶん私を不安にさせないためだったと思います。頑張ると言っていた治療を終え退院し自宅に帰って来た次の日容態が悪化し酸素をつけながらも自分が死ぬのをわかっていたのかみんなに会いたいと姉妹全員が病院に来てくれ、そして家族全員とありがとうと握手をして、だんだん意識がなくなりみんなに看とられながら亡くなりました。
すごく痛く、苦しい中でも周りを気づかっていた母。
闘病中、一生懸命支えようとどんどん変わっていく母を見て涙を流さないようにと強がって厳しく接することしかできず、死を受け入れてちゃんと接することができませんでした。もし受け入れていたらこんなにも辛い治療を選ばせずに、体を傷つけずにもう少しだけでも長生きできていたのかな、心穏やかに過ごせていたのかなと後悔しかありません。どれだけ無理をさせて苦しめてきたのかと思うと涙が止まりません。優しくできなかった、病気を早く見つけてあげられなかった、自分が憎いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ありがとう、ありがとう
2児母さま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。
今年の1月にお母さまを亡くされたとのこと、心より哀悼の言葉を申し上げます。
今は「闘病して1日でも命を長らえる」という選択だけではなく、「積極的な治療はせずにQOL(生活の質)を高く保つ」など選択肢も増えてきました。でもその中で、お母さまは2月に産まれる孫の顔を見たい、と仰った。一所懸命に闘病することを選ばれたのだと思います。
そして2児母さんは、必死にそれを応援されたのではないでしょうか。温泉、食生活、他県での治療、どれも大変なことだったと思います。よく頑張ってお支えになりましたね。
「生きたい」というのがお母さまの本心だったと思います。それでも辛い闘病生活の中で、弱音を吐き出したい時もあったでしょう。お母さまは、誰にでも言えるわけではない弱音を、2児母さんに受け止めて欲しかったのでしょう。でもそれを聴き励ますのは、お辛いことでしたね。
お母さまの決心に応じたこととはいえ、厳しく接してしまったことに後悔の念を抱いているのですね。でもそれは、お母さまを苦しめようとか憎いとか、そんなことを思っての行動ではありません。そこに慈悲があったのです。
不動明王という仏さまがいます。憤怒相という怒った表情をしていますが、これは憎しみなどで怒っているのではなく、相手を思いやる慈悲があり、良い方向に導くためにあえて厳しい表情をしているのです。2児母さんは、お母さまを慈悲を持って叱咤激励する不動明王の役目を引き受けられたのではないかと思います。
最期、家族や姉妹に見守られ、有り難うと握手をして息を引き取られたのですね。その状態では多くを話せなかったでしょうが、2児母さんに深い感謝の念を持ちつつ、仏さまの世界に旅立たれました。
お母さまを大切に思えばこそ、後悔や自分への憎しみが生じると思います。けれど仏さまとなったお母さまは、「ありがとう、ありがとう」と2児母さんやご家族を見守っていらっしゃいます。
様々な気持ちが少しずつでも晴れやかになりますよう、お念じいたします。
◎追記
お母さまと長い時間を過ごしたのです、そうやすやすと心が癒えなくて良いのではないでしょうか。泣いたり、落ち込んだり、時には笑ったりしながら、少しずつ向き合っていってくださいね。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
毎日後悔の日々でしたが優しい言葉に泣きながら読みました。
ありがとうありがとうと見守っていると見たとき頭の中には笑顔な母の顔が浮かび、まるで本当に母が言ってくれてるように思えました。
ありがたいお言葉を頂き、心が少し癒えました。まだ母を思いだし涙することがあると思いますが少しずつ向き合っていこうと思います。
ありがとうございました。