わき上がる怒りについて。
いつもご指導頂きありがとうございます。先日やっと勤まりそうな仕事にご縁を頂き、一生懸命働き出しました。ふとした時、以前長く働いていた会社の人達にされ続けて来た、煮え湯飲み、冷飯食い、濡れ衣着せられを思い出して、猛烈に怒りがわき上がるのです。「怒ってはいけない、ふしんに、ふしんに」と自分を抑えて、般若心経や御真言をお唱えして心を鎮めるのですが、またふとした時に怒りがわき上がって来ます。自分自身がイヤになって来ます。若い20代前半の頃、無知故に当時お付き合いをしていた方を、大きく傷つけるようなことをした報いなのでしょうか?先生方のご指導をよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「怒りの矛先」仏様が気づかせてくださっている お計らい
前回の質問も読ませてもらいました。
理不尽に耐えてきたのですものね、思い出したら悔しさに怒りが沸き起こりますよね。そんな時は、心に仏様を想われるのですね。それがいいわ、全部受け止めてくださいますものね。(私も念仏申しています)
さて、過去の行いの報いを今 受けているのだろうか…ということですが。
あなたは、そう思うほど、自らの振る舞いを内省されているのですね。
報いとは違いますが、そう考えるなら〜
人に向ける「怒り」、自らも誰かに怒りを向けたときに「傷つけてきた」のではないだろうか。今のその「怒りの矛先」に気をつけなさいと、仏様が気づかせてくださっている お計らいだと、受け取っていきませんか。
怒りは自然な感情です。我慢しなさいということではなく、向ける先を間違わないようにと。愚かな鬼にならぬよう、そのために仏様がいてくださり、そして仏様のお救いを聞かせていただく生き方を歩ませていただきましょう。
もちろん、向ける先は、こうして吐き出せる場所へ。一緒に怒りながら、一緒に仏縁に遇えたことを、よろこばせていただきましょう。
質問者からのお礼
中田先生、この度はご指導頂きましてありがとうございました。拝読致しまして、少し心が鎮まりました。また怒りがわき上がる時、その都度先生のご指導を読み返します。