生きていても良い理由
助言よろしくお願い致します。
私はアダルトチルドレンです。
6歳から家を出る17歳まで
様々な事がありました。
母親が精神を強く病むようになってから
家庭環境は余計に酷くなり
そして私の自傷行為が始まりました。
その頃の記憶はあまり覚えていません。
覚えているのは
母親の自殺未遂、私の自殺未遂、毎日の自傷行為です。
母親は覚醒剤を使用していました。
売り子もしていました。
家中に注射器がありました。
17歳の時当時付き合っていた彼と
彼の家族と同居が始まりましたが
彼の浮気やDV
彼の家族からのいびりが始まりました。
話し合いを重ねDVは無くなり
結婚も視野に入っていたので
子作りしたのですがやっと出来たかと思えば流産。
そして母親が覚醒剤で逮捕されました。
その後色々あり私は地元で一人暮らしを始めたのですが、元々の性格、いびりのトラウマから摂食障害になりました。
食べては吐き不眠症にもなりました。
精神の波が激しく定職に就けず
生活保護暮らしです。
私はもう
自分が幸せになれるとは思っていません。
幸せになろうと努力する事は
無駄だと分かりました。
いつ死んでもいい。生きていたくない。
なのに死ねない、死ぬのが怖い。
私は私に価値があるとは思えない。
もう頑張ることに疲れました。
去年出所してきた母親に最近言われました。
「まだ昔の事言ってんの?もう良いでしょ!お母さん散々謝ったし散々苦しんだし散々後悔したしいっぱい泣いたしもう許されても良いでしょ!」と。
脱力しました。
私は何をされても母親が好きでした。母親の愛情を求めていました。
確かに過去にされた言動は許せていました。
なのに最近だめなんです。
死んでほしい。
母親さえいなければ、こんな自分にならなかったかもしれないのに。
そう思ってしまうようになりました。
母親も過去に色々あり苦しんだのでしょう。
大変だったのでしょう。
なのに私は母親の死を願う最低な人です。
死ぬべき人は私なのに。
こんな私が生きていていい理由はなんですか?
幸せとは無縁な人生なのに
辛いことしかないのに
生きている意味はありますか?
高望みはしません。普通で良いのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
この世は苦である!
この世に生まれるのは自分では出来ません。
毎日、泣いたり笑ったりは自分で出来ます。
死ぬ時は自分で選ぶ事は出来ません。
自分で生まれた訳じゃないから!
当たり前の事ですがこれが難しく人々を苦しめる問題でもあります。
ならば。
<覚悟する!>
覚悟とは、目覚(まざ)める事、悟(さと)るとは心辺に吾で(わが心)で、自分の心で目覚める事が覚悟です。また両方とも「さとる」とも読めます。
人は弱いもので迷えば迷うほど坂道を転げるように心が転がり止める事が出来なくなります。
転がり始めた心を止めるには只一つ覚悟決めれば止まります。しかしこれが厄介で難しいから苦しむんです。
迷いとは、現実とは違う思いが出て来る事から生じます。「ああしたい、こうしたい、ああ成りたい、こう成りたい」との思いますが思い通りに成らない時に迷わせます。現実をしっかり受け止めるのは自分自身です。悟りの入口は四苦八苦をしっかり受け止め、逃げる事無く無常観を感じる事。そうすれば転がる心も止まり真実の楽な心が(中道)備わるでしょう。
「悟りは常に却下にあり」
(意味)悟る為の心は遠くにあるのでなく、常に足元に落ちている。
この世は生まれた時より誰もが「苦」の世界へ導かれるのですが何故なのか、楽から悟り開かれない、苦より悟りはもたらされるのです。
お釈迦様も「この世は苦である」と言い放っておられます。苦を受け止め覚悟してしまうと少しづつ楽が見えるのです
質問者からのお礼
ご返答、助言、誠に感謝いたします。
そうですね。
この世は苦で溢れかえっています。
それに立ち向かえる人間なら
どんなに良かったか。
もう受け止めるという精神力さえ
今は残っておりません。
頑張る、進む、耐える、立ち向かう等の
プラスな思考や行動を起こす気力も
残っておりません。
ですがそれを理解して頂く事がなかったので
非常に嬉しく感じます。
有難う御座いました!