物凄く醜い人に執着され困っています。
とある男性に困っているところを助けてもらったのですが、その際に私が歓喜したのを見て勘違いされたのか一方的に好意を寄せられています。
その男性は正直に申し上げますと非常に醜くて、頭の方にもどうやら難があるらしく…。
助けてもらっておいてこんなこと言うのは非常に失礼なのですが、お礼も渡しましたし、これ以上関わりたくないです。
やんわりと避けているのですが、向こうはその気満々で執拗に接点を持とうとしたり大声で話し掛けられたりして困っています。
外見や障害で差別をしてはいけないとわかっていてもやっぱり無理です。
これってやっぱり差別してることになりますか?
どうやって縁を切ればいいですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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避けたままよりは、誠意を持ってきちんと伝える。
(頭の方にもどうやら難が)という言葉は、差別表現かなと思います。ちょっと表現が残念で悲しいわ。
あなたは助けてもらったことにお礼もなさっておられる。それが相手には、素直に嬉しかったのだと思うわ。だから、好意も生まれたのでしょうね。大声で話しかけたり〜というのも、仲良くなりたいという彼なりのコミュニケーション、アプローチなのでしょうけれどね。
好意には応えられない場合、やんわりと避ける態度で、こちらの好意は迷惑なのだなと気づける人もいますが。彼には受け取りの理解が難しいのかもしれませんね。
避け続けるのも相手を傷つけるかもしれないけれど、私には好意が無く、応えられないことに気づいてほしいのよね。
きちんとお伝えしたほうがいいと思いますよ。「大声で呼ばれたり接してこられるのは、私には困るのです。お友達にはなれません。ごめんなさい」と。好意をお断りする時は、少なからず相手はショックでしょう。それでも、避けたままよりは、誠意を持ってきちんと伝える。迷惑、嫌い、いうストレートな言葉より、困る、仲良くは出来ない、というような言葉で、伝えていきましょう。
差別ではない
相手のことをよく知らずに外見や障害等を理由に嫌うなら、それは差別かもしれませんね。
しかし、今回の場合は相手と話してみた結果、相手のしつこいアプローチに嫌気がさしてきたのですから、差別ではないと思いますよ。
嫌いな人と出会う苦しみは誰にでもあり得ることだと、仏教では説かれます。
嫌いな人や合わない人がいるのは仕方ないですが、なんとか円満な形でその人との距離を置きたいですよね。
質問者からのお礼
願誉さま中田さま、お返事ありがとうございます。差別ではないと言ってもらえてホッとしましたし、ハッキリ断った方が良いとアドバイスを受けたので弁護士に相談した後に直接言いに行こうかと思います。あと「頭に難がある」は私なりに差別的な表現を避けようとして選んだ言葉なのですが、ダメなんですね…。逆にどの様な表現なら差別にならないか教えてほしいと思いました。