一人でいると不安に襲われる
私は専業主婦で、ほとんど家事だけの生活をしています。
パートを辞めて2年ほどたちましたが、外で仕事をする気持ちはありません。
多分、自律神経の問題なのでしょうが、体調に波があり、悪い時は買い物に行くのがやっとの時もあり、働けないと思っています。
毎日の過ごし方は、午前中に買い物や調子がいい時はちょっと遠出をして散歩、午後は家事といった感じです。
夕方は家族も帰ってきて、そこからは忙しくなるので、それなりにメリハリはあるようです。
ただ日中はだらだらしてはいませんが、家事以外は特に何か集中してやることはなく、同じように日々が過ぎていきます。
こんな感じなので、日中はほとんと人と話すことはなく、一人でいる、一人の行動が多いです。
たまにお茶などする友人はいるのですが、その人は仕事があって私よりずっと忙しく、おそらく今後だんだんそんなに会わなくなっていきそうな予感かあります。
夫は最近、私に家族以外の人間関係がないのはどうなんだろうと思うらしく、そのお茶をご一緒する友人との縁は切らないほうがいい、と私に言いました。
私もそう思いますが、私は働いていず、その方は忙しく、いろいろな点で合わなくなってきそうな気がしています。
最近、一人でいるとこれから先の様々なことを考え、不安な気持ちになることが多くなってきました。
なるべく一人でいないほうがいいのかもしれない、それは何となく感じられます。
どうしたいということではないのですが、何となく不安なため、気持ちを書かせていただきました。
この不安感を少しでも減らす方法があったらご教示いただけたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
もっと真剣に悩むことが肝心
拝読させていただきました。
なにを行うにしろ、人は行ったことに思い悩む生きものです。それが人間の性というものでありますが、忙しいと暇を欲しくなり、暇だと余計なことを考えてしまうものです。
仏教では『悩み』は、とても必要と捉えます。それは『智慧』を生むために必要な悩みであり、悩みの中に真実が潜んでいるものであります。
もちろん悩みをネガティブに思考していくのではなく、「この不安はなぜにこんなに私を悩ますのか?」と、分析していくことも大切です。
対人の悩みの場合であれば、考察しても考察の限界もありますが、自己観察の場合では禅定である心を静めていくことで、不安はどこからやってくるのだろうかと答えが自ずと出てくることもあります。
・他人と比較している自分はないだろうか?
・歳を重ねることで若さが離れていく不安なのか?
・思い通りの描いた人生とは違う行路になっているのか?
・今、わたしは本当にしたいことは何であるのか?
などなど数え切れないほど、自問自答はできるものです。
◇ものごとは深刻に考えるな
◇ものごとは真剣に考えよ
上記の言葉は、武将・武田信玄の言葉ですが、仏教でも坐禅は瞑想など、心を静め自己を見つめる上で、真剣にものごとに挑むことで光は見出されるものです。
何もしていない訳ではないですが、何かをできる大きなチャンスでもあり、他人からとってみれば憧れの的でもあると感じます。
釈迦は、「過去は追うな。未来を願うな。ただただ今を切に生きよ。」と説きます。
未来を考え過ぎると不安が襲来してくることは誰もが同じであり、過去を振り返ると成長した人にとっては、過去は羞恥ばかりとなります。
"ただただ今"を真剣に、不安と向き合うことで、トンネルに入り口があれば出口も必ずあります。長い冬も必ず春が到来します。
合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
「"ただただ"今を真剣に」悩み、自分の内面を見つめ、出口を見つけたいと思います。