所有物は違う選択は同じ
他人と私は違うという他人の価値観
他人は所有物、お金、物、仕事、人間関係、生き方は違う言うのに
みんなやっている
世間の常識
一人だけやらないのはズルい
そういう時は同じ選択をさせようとして違う選択は認めず否定するのでしょうか?
なぜ違う選択をしたらダメなのでしょうか?
なぜ所有物や生き方が違う言うのに選択は同じとなるのでしょうか?
やっていない人もいるのにみんなやっている
重いリスクがあり断っているのみんなやっているだけど責任は自己責任
都合が悪くなったり責任を取らないといけなくなったらなぜ他人は自己責任と逃げるのでしょうか?
責任を取るならやる責任を取らないならやらないと伝えるとどうして責任を取るとは言わずに黙ったり逃げるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ケースバイケース
具体的な内容がわかりませんが、ケースバイケースでしょうね。
社会では、助け合い(共助)がないとうまく回らないことが多々あります。
道路のドブ掃除だって町内会の人々がやってくれているのかもしれない。それをやらなければ大雨のとき道路が冠水するかもしれない。
「町内会のドブ掃除なんてやりたい人だけがやれば良い」と共助には参加しないで、道路を当たり前の顔をして歩いている人もいるかもしれません。
真面目な人だけが損をしたり、真面目な人にだけリスクを負わせる社会は、不公平でしょう。
かと言って、たとえば小さい赤ちゃんがいるシングルマザーが、家に赤ちゃんを残してドブ掃除に参加はできませんね。
じゃあ、参加できない理由をちゃんと説明すれば良いのだけれど、説明するのがウザいからと黙ってサボったような態度になると、反感を買うでしょう。
結局、何にでもメリットとデメリットがあり、良いとこ取りは無いのでしょうね。
だから、メリットとデメリットをしっかり調べた上で、ケースバイケースで自分に合った判断をするしかないですね。
また、社会とか国とか国民たちとか、大きな集団が相手だと、相手も感情のある人間であることを忘れがちだけど、やはり生身の人間が相手だと思って、丁寧な対話が必要な場面がありますね。
そして、みんな自分が一番大切なのだから、無闇矢鱈に他人からの迷惑を被りたくないので、「自己責任」と言われるのは仕方ないでしょうね。