対人不安と視線恐怖
15歳から対人不安と視線恐怖になってしまいました。
なので就ける仕事も限られてしまいますが、一人暮らしなので何とか出来る仕事を見つけて働いています(実家には精神疾患の兄がおり、犬猿の仲で、喧嘩になると私の状態が悪化するので帰れません)。
ですが人間関係で苛めのターゲットになりやすく、どこに行っても話せる人も出来ず、そうなると心が耐えられず辞めてしまいます。
元々かなりの寂しがり屋で、誰もいなくてもいいじゃん!と開き直ろうとしましたが、やはり人との交流や温もりを求めてしまいます。
発症前は友達がたくさんおり、交流の楽しさや温もりを覚えているからだと思います。
とにかく恐怖心と不安感から、人と話す時にとても緊張します。
他人だけでなく身内すら、私が話す時に相手も緊張気味なのがわかります。
私が身構えているからだと思うのですが、相手も身構えているのがわかってしまい辛いです。
また話しかけられても頭が真っ白になり、話す内容がしどろもどろになり、みんながポカーンとした顔をしていた時もありました。
それが続くとだんだん話しかけてもらえなくなります。
また他人が怖いので無意識にチラチラ見てしまい、鬱陶しいとか言われた事もありますし、目付きも悪く思われてるみたいです。
それでも会話上手なら仲良くなっていく可能性もあると思うんですが、会話も下手なので、何かチラチラ見てくる変わった人、と思われて終わります。
若いときはなんとかやり過ごせていましたが、年齢を重ね、何も改善されていない自分に対する不安や虚しさ、このまま寂しく老後を迎える不安が常によぎるようになりました。
友達、彼氏、旦那さんもおらず、誰にも相談できません。
以前のように、気兼ねなく人との交流を楽しめる自分に戻りたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大丈夫です。少しずつ歩んでいけますよ…
『15歳から対人不安と視線恐怖』…長い間、お辛い思いをなさっていらっしゃるのですね。ご心中いかばかりかとお察しします。
『以前のように、気兼ねなく人との交流を楽しめる自分に戻りたい』お気持ちはわかりますが、まずはそのような気持ちを「捨てる・離れる」ことをお勧めします。
願いがあるとそれを欲するがゆえに、気付かぬうちにも力が入ってしまいます。…「ああ、私が緊張しているから、相手も緊張している。私が身構えているから、相手も身構えている」…「これではいけない」と、つい思ってしまうのです。
それではとてもリラックスしてのお話しなど出来ません。
「上手く話そう」という気持ちを捨てましょう。
「たどたどしくて良い。顔がこわばっていてもよい」と良い意味で開き直ってしまいましょう。
私も一時期、あなたと同じように人と話すときに顔がこわばることがありました。…これではいけないと思いましたが、もうどうしようもありませんでした。
で、「相手の目を見るのではなく、額や鼻を見る様にして話す」というアドバイスを得て、そのようにしていました。
もちろん、そう簡単には顔のこわばりはとれませんでしたが、気付かぬうちに今ではそのようなことは無くなっています。
顔がこわばって良いのです。笑顔で楽しいことを話せなくて良いのです。
要は「相手を思いやりつつ、自分の言いたいことをちゃんと伝えることが大切」なのです。
英語を母国語としない方が、国連などの大舞台で発音もいい加減なまま話しても、内容が大切なことと分かれば、聴く側は真剣に聞き入り、結果 話し手に大拍手で賛意を伝えることがあります。
「上手く話せなくてもよい、きちんと伝えよう」…どうぞ、そのようなスタンスで人と向き合って下さい。
必ず一歩ずつ、いえ、1ミリずつでも進んでいけます。
ええ、それで良いのだと思います。続けることで1ミリは1㎝、1メートルとなっていくのですから。
少しずつ良い方向へ歩んで行かれることを心より念じ上げております…。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました‼️
相手の反応ばかり気にしてしまい、思いやること・自分の伝えたい事をきちんと伝えることが疎かになっていたかも知れません。
そこに意識を集中させるよう、意識してみたいと思います。