モヤモヤして消えないこと
つい先日、公立大学の編入試験に合格しました。これまで、勉強を頑張ってきたので凄く嬉しかったです。しかし、友達が国立大学に合格をしたことを知り、自分がなんだかちっぽけな存在だと感じました。加えて、友達の合格を素直に喜べなくなってしまいました。
私自身、学歴にコンプレックスはないのですが、友達が国立信者なのでなんとなく国立大学が”素晴らしい” ”普通の人にはこれない場所”というイメージがついてしまっていることが原因だと考えています。
また、本当は国立大学を狙っていましたが、様々な事情により公立大学にしてしまいました。そのため、『もしかしたら挑戦すれば受かっていたのではないか』と思ってしまいます。
自分が選択したことに自信が持てず、更には友達の喜びを分かち合えない自分が不甲斐ないです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分の気持ちに素直に気付いて認める
のが成長の第一歩です。
人はどうしても誤魔化しがちです。他人に対してはともかく、自分で自分を善人だと誤魔化すのが、案外厄介なのです。誤魔化しているうちは、治しようがありません。体の悪いところを見ないふりをしているようなものです。自然に治ればよいですが、そのうち悪化してどうにもならなくなって医者に行っても手遅れとかにもなります。
気持ちの誤魔化しも、誤魔化して善人ぶっているとそのうち心の変調にまで至りかねません。
仏教の修行でもそうなのですが、まず、自分の心がそうであると気づくことが大事です。あれ?これ醜い心?と気づくのが第一歩。それはできています。これは嫉妬だ、と判断する。それもできている。で、捨てる。この、最後の捨てるが大事です。今、ちょっと嫉妬した。醜い心だ。これは捨てよう。忘れよう。で、いいのです。比べたって他人と自分は関係ないですから。
次にまたそれを思うと、また、同じような心が出てきた。ああ、これは嫉妬だ。捨てよう。修行中でしたら、そうやって何かの雑念が割り込んだら、すぐにそれに気づいてすぐに捨てます。無念無想に戻ります。
日常生活では、思い出すたびにそういう気持ちになってくると、さすがにうんざりするでしょうから、では、自分は自分の道を歩むぞ、頑張るぞ、と切り替えられたらうまくいきました。ということになります。これは日常生活で修行のような成果を出せたことになり、心は大いに成長していることになります。
これから入学して在学中はずっと同じ気持ちが続くかもしれません。何か善い展開があれば、ここに入学したからこそ、と、単純に嫉妬を捨てられるかもしれません。自分がうまくいかなければ、嫉妬が大きくなるかもしれません。
とりあえず、やってみなければ分かりませんね。人のことよりも、自分がこれから進む道で何が起こるのか、わくわくはらはらしながら、自分でしっかり歩みましょう。
何が心に沸き起こっても、良い心、悪い心、となるべく早く気付いて、悪い心なら、捨てる、良い心なら、ではこの心でやってみよう、と行動する、などと、自分の心の動きを素早く察知して適切に対処することがうまく生きるコツのような気がします。
これからそれぞれの道を
拝読させて頂きました。
あなたが友達と比較してしまい卑屈になってしまう思いを読ませて頂きました。あなたがその様にお考えなさってしまうお気持ちもわかる様に感じます。人間ですから他者と比較するとどうしても自分のことを卑下してしまうのも無理からぬことでしょうからね。あなたのそのお気持ちを心よりお察しします
とはいえあなたはあなたの判断によってその大学を選び、その友達は自らの判断によってその大学を選んで受験して合格なさったのです。それはそれぞれにとても尊いことです。ましてや一時的な比較にはならないことでしょう。そしてあなたと友人の人生は一つ一つ違うのですからいちいち見た目だけで比較もできませんし優劣を決めることでもありません。
あなたにはあるの未来があり、その友人にはその友人ね歩む道があるのでからね。
ましてや大学はほんの一時的な学び舎ですし、それぞれの専門とする学問も違うのです。
難しいかもしれませんが、一々大学の比較をすることをやめてそれぞれの専門分野でじっくりと学んでいきましょう。
あなたもお友達もそれぞれの未来を充分お向き合いなさりしっかりと学んでいかれ、これから健やかに成長なさっていかれます様に、充実した未来を安心なさって学んでいかれます様に切に祈ってます。そしてあなたを心より応援させて頂きます。
質問者からのお礼
返信が遅れてしまい、申し訳ございません。
結論から申し上げますと、自分が選んだ道は正しかったと思えるほど、毎日が充実しています。また、友人も編入先で楽しそうにしています。当時は、お二人の返信を素直に受け止められなかったのですが、今では「そういうことだったのか」と納得ができるようになりました。本当に、ありがとうございました!