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過去の過ち、浄土真宗の念仏について

回答数回答 1
有り難し有り難し 7

今回の質問は2つあります。よろしければ、回答お願いします。

①過去の過ちについて
以前にも質問させていただいたことがあるのですが、私は、これまでに沢山の過ちを犯してしまいました。
少し前は、”これまでの過ちに反省し、これからは良い行いをしよう"と考えられていたと思うのですが、
最近では、今までの事を思い出して、夜なかなか寝れなかったり、受験生なのに勉強にも集中出来ないことがあります。
自分のしてしまった事なのですが、思い出す度にとても辛いです。
そこで、過去の過ちへの向き合い方、考え方を教えて頂きたいです。

②浄土真宗の念仏の唱え方について
ネットで調べてみたのですが、あまりよくわかりませんでした。間違っていたら逆効果になってしまうかもしれない、と不安になったので、よろしければ分かりやすく教えて頂きたいです。

2022年12月9日 7:43

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

浄土真宗教学からの解釈

あやかさま

まず①ですが、基本的な仏教の考え方としては、懺悔、慚愧、修善、作善、滅罪として、悪行を成さずに善行を勧めることで、業を浄らかに調えて、智慧と福徳の資糧を集積する道を歩み、やがて悟りへと至ることが求められるところとなります。

過去の行いはもうどうにもできませんが、これからの行い次第で、業は変えていくことができます。より善き業を調えるための道が仏道であります。大乗仏教では六波羅蜜の実践が勧められるところとなります。

これからの行いで過去の行いによる業をより善いものへとして参りたいものでございます。

次に、①に関しての浄土真宗教学からの解釈では、私たち凡夫の行いは、いかなる行いであっても、自力的な雑善、雑修は、煩悩の混じる雑毒として勧められるものとはならないところがあります。では、純善、純修ならば勧められるものとなるのではないのかと思われるでしょうが、それは煩悩(煩悩障・所知障)のある凡夫では絶対不可とされるのであります。

そのため、自力的な行いを全て捨てて、他力、特に、阿弥陀如来様の本願力に全てをお任せをしていくための(他力の)念仏が求められるところとなるのであります。

そして、極楽往生へと向けては、阿弥陀如来様の本願によるはたらきである真実功徳(自利利他の円満)への絶対的な信心を獲得することで往生、成仏が定まるところとされるのであります。

②において、名号念仏は、阿弥陀如来様の方便法身のはたらきとして、その真実功徳をお示し下さるところとなります。いかに阿弥陀如来様の本願力の絶対他力を完全に信心できるかも問われてくるものとなるのであります。

参考になさって下さい。

合掌

2022年12月9日 10:11
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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

丁寧なご回答、ありがとうございました。お礼が遅くなってしまい申し訳ございません。
これからは、周りの方々へ、良い行いをできるように頑張っていこうと思います。

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