自分が嫌いです。
こんにちは。
過去の行いを後悔したにも関わらず、また同じことを繰り返した自分をどうにかしたいと考えています。
私は3年前、同僚の女性に片想いし、仕事が手につかなくなりミスを連発、毎晩電話するような仲になったのですが最終的に振られ、どうすれば良いかわからず、無視をしてしまいました。
結果、様々な罪悪感に苛まれて適応障害になり退職をしました。
もう同じことは繰り返したくないと思い、自分を変えられると信じてそれまでの人間関係や環境を全て放り出し、またこんなに辛いならもう恋愛はしないと、自分の気持ちに蓋をしました。
しかし、それから3年経ち、4月から新天地で仕事を始めた今、また同じ様なことを繰り返しました。
仲が良くなった同期の女性を無視したのです。
私自身、何がしたいのかわかりませんでした。
とても後悔しています。
とても心の距離が離れました。
私のせいでしかないのですが。
無視をした発端は他の人の悪口をその女性に言ってしまいそうになったからです。
人の悪口を言ってはならないと考えていたので、話すとつい言ってしまうと思い、こちらから話しかけないようにしました。
するといつの間にかその女性の悪い部分を見るようになり、無視をした原因はその女性にあると考えるようになりました。
こうして文章に落としてみても、自分自身そういう言動をする意味がわかりません。
そうした行動をとり始めたのは3ヶ月ほど前の話ですが、距離が大きく開き、今では当時の自分を殺したいくらいに恨んでいます。
本当は好きだったと気づいたのは取り返しがつかない状態になってからです。
前回の事から3年経っても、環境を変えても自分を何も変えられなかった事がとても悔しいです。
無駄に高いプライドを捨て、偏った考え方を捨て、素直さと生きやすさ、自分中心ではなく人を大切にする心を手に入れるには、何が必要なのでしょうか?
それともこういった性格というのはなおらないのでしょうか?
長文、乱文になり申し訳ありません。
いつも回答をいただき、ありがとうございます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
嫌いな自分から逃げない、目を背けない
ご相談拝読しました。
とても苦しい思いをお聞かせ頂きました。ゆっくりとこれからどうするかを考えていきましょう。
・自分をどうにかしたい
・性格をなおす
・自分を変えたい
というご相談ですが、結局そういうのは難しいのですね。現実的では無いからです。
というのも、なにか「あるべき自分」、「理想の自分」というのを掲げてそれを前提にしてしまっているからです。それは「そうではない今の自分」を苦しめるだけです。
まず、「今の自分」「自分の現実」を認識し、認め、受け入れるところからではないでしょうか。
どうしようもない自分、どうにもならない自分をしっかりと自覚し受け止める。それは暗くなるようで、実はそうではないのです。このままの自分がはっきり見えてくるという明るさがある。
恋はしてしまうものです。それをしないということに無理がある。人を大切にするのは大切ですが、自分中心をしてられると思うところに現実との乖離がある。
誰だって自分中心です。でもそれが実は自分自身を傷つけ苦しめることになる。だからこそ自分中心であることをはっきり認めることが大切です。
自分が変わるということは行動が変わる。以前のように退職したり人間関係をリセットするのでなく、今この苦しい現実を受け止めるところからはじめてはいかがでしょうか。
続けていればその女性に謝ったり、当時の自分の真意を話せる時もくるかもしれません。
高みを目指して楽になろうとするのでなく、苦しい現実を地道に歩むところに実は自分の思いを超えた世界がある。
もちろん、また適応障害等を発症しそうならば無理をする必要はありません。ただし大事なことは環境から逃げても自分の現実から逃げないことです。自分からは逃げることができません。
これが自分なのだなと認め、その自分にできることを模索していく。いきなり大改革ということはありません。小さな一歩から。応援しております。