母が突然亡くなりました
先日、80歳の母が急死しました。旅行先で突然の心臓発作でした。以前から心臓に持病を抱え通院はしていたものの、そこまで深刻に捉えていなかったようで、最近、心臓の痛みも頻発していたと聞いていたので、無理にでも旅行をやめさせて病院に連れていけば良かったと後悔ばかりが募ります。
残された父のことも心配ですし、これからもう少し老いてきたら同居して世話をしていこうと思っていたので、私自身の生きる目標も無くなってしまったようで無気力になっています。
友人と会って話を聞いてもらったり趣味に没頭したりして気を紛らしているときは良いのですが、家で1人になると急に涙が止まらなくなり悲しみから立ち直ることができません。
5年前に夫を病気で亡くしましたが、そのときは闘病も長く、覚悟もできていたしやるだけのことは全てやったと後悔もなく、受け入れることもできました。ですが今回の母の死はあまりにも突然すぎて、どうしても受け入れることができません。これから、どのように過ごしていけば良いのでしょうか。今はあまりにも悲しく寂しく辛い毎日です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お参りが向き合ったり話す時間。一緒に手を合わしていきましょう
そうですよね。。。こんな形で別れがやってくるなんて。元気だったのに、楽しみで行ったはずなのに、どうして、って。とても受け入れることなんて出来ないですよね。
先がわかれば、もちろん回避していたでしょうが。楽しみに行かれたことを思うと、あの日あの瞬間に、苦しかったであろう母のそばにいてあげたかったと思いますよね。
あなたが今は受け入れられないと思うことは、自然な感情です。どうすることもできないほどの湧き起こるもの。あなたにとって、特別な存在なのですから、すぐに納得なんて出来るはずがないですものね。
なぜこんなことにと、もがいてしまう自分が苦しくて仕方がないですよね。会いたいです。お母さんと何度も名前を呼びたいですね。
気持ちに蓋をせず、こんな気持ちになる、こんな想いもあるという心の揺れや動きのままに、流れていることも大切にしましょう。
お母さまの子であり、ずっと親子として生きてきたのですもの。様々な想いが溢れて当然なのです。深い悲しみ、悲嘆(グリーフ)越えていくためにも、気持ちに向き合う、話す、安心出来る人に聞いてもらう、思い出していく、分かち合う、そういうグリーフケアは必要なプロセスなのですよ。
いっときでも、友達と会う、趣味に没頭するのもいいと思います。そして、こうして僧侶に、お母さまとの話をしていく、思い出に触れていくというのも、大切な人の死と向き合う尊い時間になっていきます。仏事って、そんなグリーフケアの場でもあるのですよ。
お母さまが、あなたにとってどれほどの人だったのか。また聞かせてくださいませんか。一緒にお母さまを想い、偲び、手を合わせましょう。そこに仏様の救いも届いていきますよ。
お寺ではね、毎月 月参りがあります。毎月の月命日のお参りが、向き合ったり話す時間なのです。
あなたがその環境に無いのなら、ここで話をしていきましょう。オンライン個別相談もありますからね。利用しながら、お母さんに出会っていきませんか。それも、あなたのケアであり、お母さまへの供養の形です。
私もこちらから、あなたのお母さまを想って、手を合わせますね。
合掌
質問者からのお礼
中田住職、お返事ありがとうございます。住職のお言葉、とても身に染みました。
すぐに受け入れなくていい、気持ちに蓋をせず感情のままに流れていくことも大切と言っていただき気持ちが楽になりました。
母を偲び、思い出話をして、お参りし、向き合っていくことが、母の供養と同時に残された私や家族にとっても悲しみをを癒していく時間になるのだとわかりました。
機会がありましたらまた母の話をさせてください。本当にありがとうございました。