パワハラの記憶にどう向き合っていくか
初めて相談させていただきます。ありがとうございます。
「自殺する勇気の無い臆病者」「生きる価値も死ぬ価値もない」
「人間として基本がなっていない」「社会経験が無いやつはダメだ」
などと逃げ場の無い状況で数時間、理不尽かつ一方的に責め立てられたことがありました。それ以外の通常の業務中も、こちらに教えていない作業について怒鳴って叱責、こちらが問題なく仕事を終えても不当な暴言など、とにかくひどい有り様でした。
社会経験とは何ぞや、と疑問しか出てこないような滅茶苦茶な言い分ですが、派手に体を壊したのが影響して職歴や経験が貧弱になり、一般的な求人に合致しない今の状態に、痛烈に響く部分もあります。自分は臆病で基本的な能力に欠ける無価値な人間だ、という洗脳にでもかかっているような気持ちです。
以前は思い出す度に取り乱し、書き出すことさえ忌避していたので、書けたということは、僅かながら消化しているのだ、と思いたいです。
とはいえ種々のトラブルもあり、人間不信やうつの傾向が続いています。死んで楽になりたいと願うことも珍しくありません。
これはトラウマと言っていいものでしょうか?その場合、どうすればうまく付き合って行けるのでしょうか。因果応報、とするには、世俗にいる私では納得するのが難しいです。
嫌なことから逃げ続けていると思う。 感情のコントロールが難しい。 土地を離れたいが、親の介護などで離れづらく葛藤がある。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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信じられなくて怖くても少しずつ温かなものに触れていきませんか
イジメやパワハラによるPTSDが起きているのではないでしょうか。
抵抗が出来ない関係性の中で、指導を逸脱した人格否定や精神的・身体的暴力を受け続けてきたのです。深く傷つき、人が信じられなくなったり、怖くなってしまうのは当然だと思うわ。
こうして、気持ちを言葉にするのも、苦しかっただろうと思いますし、生きていくのさえも疲れてしまうほどに、あなたの心はずっと泣いてきたのですよね。
社会に生きるには、人が存在します。人のいない世界を探すのは難しいわ。
それでも、あなたが こうしてハスノハを頼ってくださったように、手を伸ばす先に あなたを大切に想う人もきっといますよ。
あなたを理解し、支えてくれる人もね。
近かったら、お寺にもおいでって言ってあげたいくらいよ。
人が信じられなくても、怖くても、こうして少しずつ温かなものに触れていきませんか。あなたのペースでいいから。心を休め、傷を癒していきませんか。
あなたの心身が回復するまで、こうして繋がっていますよ。
質問者からのお礼
中田三恵さま、回答ありがとうございます。
対面でも、優しい言葉掛けを頂けると涙が出ますが、文章になると余計に......オンラインの繋がりが持てる時代に生まれて良かったと思います。
遠方なので難しいですが、いつかお会い出来るように、しぶとく生きていけたらと思います。お元気にお過ごし下さい。