目の前で事故死した猫
ほんのつい2時間前、飼い猫が目の前で亡くなりました。その子は5.6年前に中庭に遊びに来ていた子でだんだん懐いてきて、流れで飼うことになった子です。ほんとに甘えん坊で、寝る時も一緒、私が自分の部屋にいる時は気づけば後ろで寝ていて、目が合えば嬉しそうに伸びをしながら頭を思いっきりぶつけてきて抱っこしてくれるのを待っているような子でした。ただやはり野良猫だったので気を抜くとすぐ脱走して、そのくせ弱いので傷だらけで帰ってきたり、去年はオムツをつけたまま1週間半脱走したせいで下半身の皮がほぼ全部めくれるほど酷い怪我を負ったりもしてました。それでも毎回必ず外に置いてる犬小屋の中で寝ながら待っていて、お風呂に入れてもずっと甘えてきて、体を乾かしてご飯を食べたらずっと一緒に寝ていました。
今日もいつも通り帰ってくるとリビングで寝ていて、構ってあげたいと思いながらもテスト勉強があったのでそのままほっといて2階の自室でご飯を食べてました。最近中庭に別の猫が来てるみたいで、ちょうど私が2階にいるときもその子が来ていたらしく下でにゃんにゃん鳴いている声が聞こえていました。暫くしてやけに声がうるさいと思ってよくよく聞いてみたら外から声がしていたのでまさかまた脱走したのではと下に降りると、案の定突っ張り棒をしていたはずの引き戸空いていて網戸が破られていました。暫くは2匹で唸っていたのですがさすがに近所迷惑だと思って止めに入るといきなり喧嘩し始めて、弱いうちの子はそのまま段差から一気にコンクリートに打ち付けられて上を向いたまま動かなくなりました。慌てて抱き起こしましたが骨が無いような感覚を感じて、瞬間的に死を感じました。すぐ布団に寝かせて泣きながら起きろと何度も呼びましたが、数分後には動かなくなりました。
さっき箱の中に入れてきましたがほんとに寝てるみたいで全く実感が湧きません。今年おばあちゃんが死んだのですがその時も母が情緒不安定だった一方で、私は他人事のようにずっと冷静でした。ずっと可愛がっていたのでふとした時に涙はでますが、それ以上の感情がわかないです。寂しいし、あの時部屋に連れてきてあげれば、仲裁に入らなかったら死ななかったんじゃないかとか、後悔はしていますが虚無感の方が強いです。大好きだった子なのに悲しくならない自分が気味悪くすら感じます。これはなんなのでしょうか
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いのちは尊いもの
はじめまして、私は浄土真宗の僧侶です。
甘えん坊で時には脱走してしまう、やんちゃな猫ちゃんだったのですね。
それでも目の前でその猫ちゃんが亡くなっても、はちさんは後悔はしているけど虚無感の方が強い、それに大好きだったのに悲しくならないことに自分が気味悪く思ってしまうのですね。
また、おばあちゃんが亡くなった時も冷静でいられたとの事。
私が感じたのは、はちさんはいのちの尊厳と言うことを本質的に感覚的に感じていて死と向き合うのが怖いと思っているのではないでしょうか。だからご自分で殻を作って事実と向き合うことを避けている。その理由は、きっとはちさんがいのちの尊さを本能的に感じていて、優しさという感性を強くもっているからこそ正面から向き合えないのではないでしょうか。その結果として直接的な悲しみの感情を持たないのではと感じました。でもそれは、はちさんの自己防衛の表れであり少しもおかしな感性では無いと思いますよ。
このような感性は年齢とともに変化していきます。はちさんは、おばあちゃんの死でお母様が情緒不安定になったのをごらんになっていて、無意識にお気持ちの蓋を閉じてしまったように思います。
それは決して悪いことではありません。
はちさんの繊細な優しさゆえのことでしょう。どうぞ大好きだった猫ちゃんに手を合わせてあげて下さい。合掌