親との関わり方や、自己肯定感の上げ方
私は20代の社会人の女です。
私は中学生あたりから、自分に一切の自信が持てなくて、自分の選んだものや、自分の所属する場所の嫌な面ばかりが目につき、ネガティブに捉えるようになっていました。
最近、自分を見つめ直すようになって、その原因が何となく分かってきました。
まず、私は自分の見た目が嫌いで、自分がブサイクだから人に馬鹿にされていると思っています。
それはきっと、母親に遠回しに私の容姿を否定されて育ったからです。
私は親戚一同が認めるほど、父親似です。
母親にも「お父さんによく似ている」と言われて育ちました。
その一方で、母親は「なんでお父さんみたいなブサイクと結婚したんだろ。私面食いだから全然タイプじゃないのに」と何度も言いました。
それは私にとっては、私はブサイクであることになるのです。
私から見ても、父親はブサイクだと思います。
母親はたまに私のことを美人だと言います。しかし、私はもうその言葉を信じられません。母親もお世辞を言っていると思っています。
私は私の化粧した顔を写り良く撮ってもらった顔はそんなに悪くは無いと思います。
けど、写りが悪かった時や、そもそもすっぴんの顔は本気で嫌いです。
また、私はこれまたどこでこんなに歪んでしまったのか、完璧な結果を出せないくせに完璧主義です。
そのため、自分の不完全なところを認めることができません。
自分の容姿が自分の求めるものと違うので、そんな自分に自信を持つことはできません。
そして、親との関わりでもう一つ、私は親の前で「淡白で悟ってて自立している」という振る舞いをしてきました。
母親には「あんたはNoが言える子に育てたから」「あんたは人に依存しないよね」と言われます。
むしろ逆です。私は嫌だと主張して、嫌われたり、ギクシャクするのが怖くてNoがほとんど言えません。人には依存しまくりです。
もしかしたら親は私のそういうところも見抜いているのかもしれませんが、いい加減いい大人なので、親の前で弱音を吐いたりとか、恥ずかしいのでしたくありません。
私の自己肯定感が低くなっている原因は
・親に容姿を否定されたこと
・完璧を取り繕おうとすること
この辺りにあるのだなと思います。
では、原因がある程度分かっているのであれば、私はどうやって自分に自信をつけて行けばいいのでしょうか。
導いてくださると助かります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
空ということ。
仏教では全ての物事は空であると定義します。空とは無ということではありません。空を別の言い方で顕すと「無自性」、むじしょうと言います。これはその物やその人自体に定まった性格は無いという意味です。
例えばあなたは、質問の中にブサイクと言う言葉を使っていますがブサイクと感じるのは他人ですよね。と言う事は人によってブサイクの中身は全く違うものになると言う事です。
もっと分かり易く言うと痩せ型の女性を好む男性はぽっちゃりの女性をデブでブサイクと思うかも知れません。また、ぽっちゃりな女性が好きな男性は痩せ型の女性をガリガリでブサイクと思うかも知れません。
真逆なのにどちらもブサイクです。
つまり、ブサイクと言う言葉は中身が真逆でも通用する言葉であると言えます。
これが空と言う事です。
もう一つ例をあげます。犬が大好きな人はドーベルマンなどの猛犬を見ても可愛いと思います。しかし、犬が苦手な人はチワワを見ても怖いと思います。それでは犬は可愛いのか怖いのか、真逆です。これが空と言う事です。
私たちは空の世界で生きているのです。
ですから、あなたをブサイクと思う人も居ると思います、しかし、あなたを美しいと思う人もいるのです。
そうであるならば、容姿の事で悩むのは全く意味のないことです。あなたを素晴らしいと思う人と関係を持てば良いのです。
つまり、ご自身がご自身の思い込みを持っていることが無意味なんです。
次に完璧を取り繕うという行為も、無意味です。どんなに完璧にやったとご自身で思っていても他人から見たら不完全という判断をされてしまうこともあるのです。
逆に完璧でなくても、全然オーケーだよと言う評価を得ることもあるのです。
すべては空だからです。この空と言う概念を理解していただけると、世の中のだいたいの悩みは、悩みなんかじゃないと思えるものです。
そう考えるとあなたが自己肯定感を気にすることも無意味だと言えるでしょう。
結論を言えばあなたは、あなたのままでいいってことです。あなたのまま自信を持って生きれば良いのです。合掌
あなたは恵まれながら生きています
拝読させて頂きました。
あなたが親との関わり方や自己肯定感の上げ方についてお悩みなさっておられることを読ませて頂きました。親からも今まであれこれと見た目や性格についても言われてあなたはとても辛い思いをなさっていらしたのでしょうね。そして今も親の前では一生懸命に気丈に振る舞っておられるのですね。本当ならばあなた自身はそうではないのかもしれませんよね。また今まで様々なことを言われて自分自身のこともなかなか肯定することできずにとても迷い悩んでおられるのですね。詳細なあなたのことはわからないですけれどもあなたのその辛いお気持ちを心よりお察しします。
あなたは誰からも見た目も内面も一切否定される必要などありません。あなたは恵まれて様々なご縁を受けて生きておられるのです。親は自分の個人的な意見やその場の感情などであなたのことをあれこれと言うのかもしれませんけれども、一切その様な暴言を聞く必要などありません。
ましてあなたは常に完璧でなければならないことはありません、人間誰もが完璧ではありません、誰しもが未熟なのです。ですから一生懸命に片意地張って我慢したり無理に頑張る必要などありません。
あなたはもう既にしっかりと生きているのです、あなたが今も生きておられることはとても尊いことなのです。
あなたのことを本当に沢山の方々がいつもお見守りなさっていて下さいます。仏様や神様やあなたのご先祖様はあなたのことをいつでもどこでもどんな状況にあったとしても片時も忘れることなくあなたを優しくお見守りなさっていて下さるのです。あなたが毎日を穏やかに安心なさって生きていくことできます様にといつも見守り寄り添っていて下さいます。ましてあなたは日々新しい命を頂きながら愛され恵まれ育まれて生きているのです。
ですからどうか安心なさって下さい、あなたのことを少しずつ自信持って下さいね。
あなたはこれからもずっと沢山の方々に守られて生きていくことができるのです。
あなたがこれからの未来を愛され育まれながらお健やかにご成長なさっていかれます様に、大切な方々とのご縁に恵まれながら心から穏やかに幸せに生きていかれます様にと切に祈っています。そしてあなたを心から応援させて頂きますね。
どうか決して自分のことをおとしめないで下さい、自分を追い込まないで下さいね。
宇宙に必要な存在だから生きている
今、あなたが生きているのは、宇宙のバランスの都合上あなたが必要な存在だからだと思いましょう。
また、阿弥陀仏という仏様は、「南無阿弥陀仏」と念仏する人を必ず極楽浄土に迎えると誓っておられます。
あなたは、仏様から見たら大切な(救うべき)存在なのです。
私達にはプライドの煩悩があり、自分は素晴らしいと思いたいために、他人と優劣を比較したりしてしまいます。
しかし、プライドの煩悩は悩み苦しみの原因になります。
真理を悟った仏様にはそのような煩悩はありませんが、悟っていない愚かな私達は煩悩だらけでストレスの毎日ですね。プライドの煩悩がなければ、自己否定も自己肯定も必要なくなりますが、愚かな私達には悟るのが難しい。
せめて来世(極楽浄土)では悟れるように、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)(なむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶ)」と念仏を唱えましょう。
あと、恋愛すれば自己肯定感につながる可能性があります。
この世界に自分を好きになってくれる人がいるなら、励まされます。