他人の幸せを喜べる人間になりたい
他人の幸せを喜べない自分が嫌です。
同じアーティストを推している友人が何人かいるのですが、仕事を休めず自分だけイベントに行くことができなかったり、自分が落選した抽選に友人は当選していたりといったらことが続き、悲しさと友人たちへの嫉妬から立ち直れずにいます。
楽しかったからイベントの話を聞いてほしいと言われ、いつまでも卑屈になっていてはいけないと思い向き合ってみたのですが、自分が行けなかった虚しさで途中微妙な反応をしてしまっていたと思います。
楽しそうにしている友人たちを見ていると自分が惨めに思えて辛く、卑屈になっている自分に対する自己嫌悪でさらに凹み…という負のループを繰り返しています。
他人の幸せを祝福し一緒に喜べる人間になるにはどうすればいいのでしょうか。
考え方、生き方のヒントを頂けますと幸いです。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
寛大になる努力
はじめまして。私は浄土真宗の僧侶です。推しているアーティストのイベントにご自分だけ行けなかったのにご友人は行けた、それは正直なところ悔しいですよね。人間なら誰でも思います。もちろん大人ですから、当選して良かったねと声をかけますね。でも心から喜べない。よく分かります。
しかし、あなたはご自分が微妙な対応をしてしまった事に対して自己嫌悪の気持ちもあるのですね。それはあなたがちゃんと思いやりがあって優しい人だからだと思います。優しく無い人は自己嫌悪になりません。自分に素直だからそ、そう言う思い、発想になるのだと思います。
でもね、常にあなたが貧乏クジを引くとは限りませんよね、あなたが当選してご友人が落選てこともあるわけです。
そんな時、ご友人は何と声をかけてくれるのでしょう。
という事を考えたら、今回はハズレたけどまた次もある、自分が当たった時の事を想像して「良かったね」と心から言うこともできるのではありませんか。
つまり、ちょっと心を大きく持ってみましょう。
そうすると、あなたは一回り大きな人間に成長します。
最初は心から喜べなくてもいいんですよ、心から喜んでいる態度で接することが大切。ご友人もあなたの寛大さを感じて一緒に喜ぶことができます。その気持ちを共有することで、あなた自身も喜べるのではないでしょうか。
ちょっと余計な事ですけど、私は自分のスマホの待受を自分の笑顔の写真にしています。いいオッサンが恥ずかしいのですが、
実は笑顔は大事なんです。そしてスマホの待受って1日で何度も見ますよね。その度にオッサンの笑顔!
笑顔で生活していると周りの人たちを幸せな気持ちにさせます。そうすると自分も幸せな気がするのです。
恥ずかしくても、あなたのとびっきりの笑顔を待受にしてみてはどうでしょう。
合掌