hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

真言宗の僧侶になるには

回答数回答 2
有り難し有り難し 24

僧侶になる人の心構えを教えてください。
自身を修行の場に身を置き、一切言い訳や弱音を吐けない場所で仏教を学びながら、自分や周りの人生を仏教を学んだうえで豊かにしていけるのでは?と考えてます。
高野山の宿坊では宿業務の傍ら、僧侶になれます。と求人が出ております。
このような場所に身を置いて学ぶ事の想像が出来ませんが、どんな人間でもそれなりの精神的成長は見込めるものでしょうか?
今は都会で暮らしており、少し人生に疲れているところはあります。何事にも中途半端になってしまうところもあります。
ですが、高野山の宿坊を調べてるうちに、ピンキリとあり、結局のところお金が神様と考える資本主義の世の中から断ち切れるか?修行の場にも俗世の欲望や煩悩から切っても切れない場であるのか?
全ては自分次第だとは思いますが、何かアドバイス頂けたらと思います。
真言宗にしたのは高野山含めて昔から馴染みがあります。
あと人との関係性を築くのがあまり得意ではなく、大体独り行動が多くここまで来ました。医療系の仕事で業務の会話のみで成り立つ、女性に囲まれた環境が長かったです。
男性社会の人間関係はどのようなものかも実情を教えて頂けたら幸いです。
よろしくお願いします。

2023年1月31日 22:05

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教はどこでも勉強できます

はじめまして、私は浄土真宗の僧侶です。あなたの質問を見て誰か真言宗のお坊さんが答えるかなと思ってましたけど、今のところ返信がないようですね。
私は宗派が違うのであなたの質問に正確には答えられないかも知れませんが、仏教を学ぶことによって精神的成長は見込めます。但し、あなたが考えている高野山での修行は想像以上に厳しいと思いますよ。少なくとも私には出来るが自信ありません。だから浄土真宗なんですけどね^_^
浄土真宗は修行という概念が有りません。従って修行はありません。私は元々在家ですが、今も在家です。浄土真宗には出家という考え方もありません。
でも仏教の勉強はできます。そして、その勉強によって私は自分で言うのも恥ずかしいですがとても精神的成長をしたと感じています。
ところであなたは何故仏教修行をしようと思ったのでしょう?
精神的成長をして人間関係を上手く築けるようになる為ですか?
お金が神様と考える資本主義の世の中が嫌でそういう社会と関係を断ち切りたいと思うからですか?

もしも、あなたがあなたの現在置かれている立場から逃避するために高野山修行をするとお考えなら、それは甘いです。とても高野山での修行など出来ません。多分3日で根を上げて下山するでしょう。
何故なら、娑婆世界から逃げるような考えで仏道修行が出来るほど甘くはないからです。
しかし、あなたが逃避ではなく心からご自身の精神的成長を望んでそこに身を投じていく覚悟があるのなら私は応援します。
あなたの動機を自問自答して下さい。

そして、まず出来る事から具体的に挑戦してみてはどうでしょうか。つまり、仏教書を読むとか、般若心経を読み解くとか日常生活をしていても仏教の勉強は出来るのですよ。頑張って下さい。合掌

2023年2月2日 7:13
{{count}}
有り難し
おきもち

仏教の目的は、抜苦与楽と成仏です。 生きている人の苦しみをどうしたら癒せ...
このお坊さんを応援する

こんにちは。

私は在家から高野山大学へ進学して僧侶となりましたが、なにぶん昔の話なので参考程度にして下さいね。
まずやっこ様がなぜ僧侶になりたいのか、僧侶となった後どうしたいのか、将来住職などの職業僧を目指しているのか等々、この辺りがご相談内容からは少しわかりにくいのですが、とりあえずタイトルにある真言宗の僧侶になるには、という点について簡単にご説明致しますと、一番スムーズな方法としましては宗門系大学に入学して学びながら加行をして・・・という流れがありますが、今回のように一般の社会人の方で求人に出ている本山の宿坊寺院で働きながら僧侶を目指す場合、当面は宿坊の掃除や宿泊客の御膳を運んだり布団を敷いたりといった下働きから始め、段々とお寺の生活というものに慣れてもらいつつお経の読み方を習ったり加行を受ける準備をする、という生活になると思います。

お寺が加行にかかる費用などを補助してくれる代わりに将来的にはその宿坊の役僧として戦力となっていただくわけです。
そうした生活の中での精神的な成長云々については、現場での人との御縁や学ぶ姿勢など人それぞれですので何とも言えないところではありますが、働いているうちに「誰かのために」とか「お寺や御本尊様、参拝に来られる方々のためにさせていただける」という感覚に至ることができれば素晴らしいのではないでしょうか。さらにその先にある境地に至れるかどうかは各人の人生の歩み方次第です。

お給料をいただいても高野山内には都会のような遊ぶ場所はありませんから少なくともカネカネうるさいようなところはないと思います。
あと加行に入ると基本集団生活ですが、昔と違って少人数ですし職場で当たり前に会話ができるなら問題ないと思います。私の頃は男同士で気を遣う必要もなく気楽でしたよ。
それに今はコンプラ上いじめやしごきのようなものはご法度ですから、その辺りもいらぬ心配でしょう。

例え周囲に俗っぽいものや醜い煩悩があったとしても自身が染まらなければいいだけの話です。
そして修行前から心構えとか気負う必要はありません。
むしろ肩肘はらずまっさらな気持ちで行に臨んで下さい。

2023年2月3日 17:37
{{count}}
有り難し
おきもち

一般家庭から真言宗のお坊さんとなりました。 お寺はありませんので普段は普...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

この度はご丁寧な回答ありがとうございました。
在家でも出来る事を考えてみます。
出家したかった理由は色々と人生嫌になってしまい、そんな自分の精神を持ち直したかったからです。人を救う前に自分の今後の生き方を見つめ直せるのでは?と考えてました。
もっと現実を見なければならないのに、何とかなるのでは?とこういう精神状態の時、なりがちです。

「真言宗」問答一覧

愛染明王様のご真言を一般人が唱えて良いか

初めまして。 私は、実家の宗派が浄土真宗ですが、中学校と高校が真言宗の学校であり、真言宗のお寺によくお参りに行っております。 そのような中で、真言宗の僧侶の方がお書きになった本を拝読し、YouTubeを拝読する機会があり、愛染明王様のご真言が書かれておりました。 そこで、自分にとっての良縁が結ばれるようにと、自宅で白い紙にお願い事と自分の名前を書き、その紙を両手で挟んで 愛染明王様に語りかけ、ご真言を毎日何回か唱えております。 すると、私にとって良い意味で不思議な出来事がたくさん起こり始め、なんだか毎日が安定して楽しい未来を想像してワクワクしてまいりました。 しかし、ネットでより深く調べてみると、「ご真言を素人が唱えるのはよくない」「敬愛法は素人が安易に行ってはいけない。代償が起きることがある」と書かれており、少し不安になりました。 そこで私は、「確かに、自分はご利益の内容をきっかけにご真言を唱え始めたので、不純で恐縮だった。」と反省しつつ、 「愛染明王様のおかげさまで日々私は安心して楽しく暮らせるようになったのだから、その感謝と挨拶を、愛染明王様が祀られているお寺に伺ってお伝えしよう」と考えるようになりました。 そしてそのまま愛染明王様との繋がりを信じ、ネットの記事を気にせずご真言をお唱えしているのですが、良いのでしょうか?また、よくお参りする真言宗のお寺とは別に、愛染明王様が祀られているお寺やその他のお参りしたい神社仏閣に複数お参りに行くことは、良くないことなのでしょうか?

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

真言宗のお坊様

不躾なお話になりますが、お許しください 私は単身者もうすぐ40になります。 福祉の仕事で、専門職として働いておりました。 10数年勤めておりました。やりがいはもちろんあるのですが、お役所仕事と言いますか、毎日の大人同士の人間関係を大切にしてその日を過ごす。そのような雰囲気があります。 ここ最近は無気力な気持ちに苛む事が多くなりました。これについては私生活における大きな悩みも要因でした。少しメンタルの不調が続いています。 今はまたチャンスを頂き、同業他社で働く予定で仕事開始を控えております。 経済的な事もあり、求人を読み漁ってました。その中でこれがやりたいという気持ちも一切湧かず、前職と比べたら給与も安く肉体労働系の仕事など今より条件が悪くなるものばかりです。 働く事は生活のためであるのだから自分の考えでは甘いと思います。 物事を思い詰めてしまうところがあり、何事も見通しが持てないと不安が強くなる特性もあります。 今までの仕事での充足感や必要とされていた感覚を捨てて、異業種に行く怖さがとても強くあります。 そんな中ここ数年、YouTubeなどでお坊さんの話を聴く機会を多く持ってました。 そして生まれ育った環境の影響もあり、真言宗僧侶に興味関心を持っております。 なぜ興味を持ったのかというのも正直なところ、仏教の先人達の教えを学び、自分の人生をより豊かにしていきたい。というのが大きな理由になります。僧侶になれば自分の精神的な弱さも含めて救われるのではないか?と考えました。人のために役立つ事は苦にならないのですが、反面人付き合いが得意ではありません。人間関係の疲れ、俗世から脱出したいというのもあります。 僧侶といっても宿坊へ就職する感じになります。 お坊様からこのような考えについて何かご意見頂きたかった事。 男性社会であるお寺(宿坊)での実際の業務や修行の話を伺いたく相談いたしました 私の勝手な想像ですが、お寺(宿坊)が僧侶としての道を支援して頂ける。これは一生仕える気持ちでそのお寺に就職という事を相手様も希望している。生半可な気持ちでは来て頂きたくない。というのが本音ではないかと思っております 次の内定が決まった福祉の仕事を長く続ける事が、今自分にとっての最適解と考えてはおりますが、この次はお寺で働きたい。とやはり考えてしまいます 何か方向性を示して頂けましたら幸いです

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ