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真言宗の僧侶になるには

回答数回答 2
有り難し有り難し 25

僧侶になる人の心構えを教えてください。
自身を修行の場に身を置き、一切言い訳や弱音を吐けない場所で仏教を学びながら、自分や周りの人生を仏教を学んだうえで豊かにしていけるのでは?と考えてます。
高野山の宿坊では宿業務の傍ら、僧侶になれます。と求人が出ております。
このような場所に身を置いて学ぶ事の想像が出来ませんが、どんな人間でもそれなりの精神的成長は見込めるものでしょうか?
今は都会で暮らしており、少し人生に疲れているところはあります。何事にも中途半端になってしまうところもあります。
ですが、高野山の宿坊を調べてるうちに、ピンキリとあり、結局のところお金が神様と考える資本主義の世の中から断ち切れるか?修行の場にも俗世の欲望や煩悩から切っても切れない場であるのか?
全ては自分次第だとは思いますが、何かアドバイス頂けたらと思います。
真言宗にしたのは高野山含めて昔から馴染みがあります。
あと人との関係性を築くのがあまり得意ではなく、大体独り行動が多くここまで来ました。医療系の仕事で業務の会話のみで成り立つ、女性に囲まれた環境が長かったです。
男性社会の人間関係はどのようなものかも実情を教えて頂けたら幸いです。
よろしくお願いします。

2023年1月31日 22:05

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教はどこでも勉強できます

はじめまして、私は浄土真宗の僧侶です。あなたの質問を見て誰か真言宗のお坊さんが答えるかなと思ってましたけど、今のところ返信がないようですね。
私は宗派が違うのであなたの質問に正確には答えられないかも知れませんが、仏教を学ぶことによって精神的成長は見込めます。但し、あなたが考えている高野山での修行は想像以上に厳しいと思いますよ。少なくとも私には出来るが自信ありません。だから浄土真宗なんですけどね^_^
浄土真宗は修行という概念が有りません。従って修行はありません。私は元々在家ですが、今も在家です。浄土真宗には出家という考え方もありません。
でも仏教の勉強はできます。そして、その勉強によって私は自分で言うのも恥ずかしいですがとても精神的成長をしたと感じています。
ところであなたは何故仏教修行をしようと思ったのでしょう?
精神的成長をして人間関係を上手く築けるようになる為ですか?
お金が神様と考える資本主義の世の中が嫌でそういう社会と関係を断ち切りたいと思うからですか?

もしも、あなたがあなたの現在置かれている立場から逃避するために高野山修行をするとお考えなら、それは甘いです。とても高野山での修行など出来ません。多分3日で根を上げて下山するでしょう。
何故なら、娑婆世界から逃げるような考えで仏道修行が出来るほど甘くはないからです。
しかし、あなたが逃避ではなく心からご自身の精神的成長を望んでそこに身を投じていく覚悟があるのなら私は応援します。
あなたの動機を自問自答して下さい。

そして、まず出来る事から具体的に挑戦してみてはどうでしょうか。つまり、仏教書を読むとか、般若心経を読み解くとか日常生活をしていても仏教の勉強は出来るのですよ。頑張って下さい。合掌

2023年2月2日 7:13
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有り難し
おきもち

仏教の目的は、抜苦与楽と成仏です。 生きている人の苦しみをどうしたら癒せ...
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こんにちは。

私は在家から高野山大学へ進学して僧侶となりましたが、なにぶん昔の話なので参考程度にして下さいね。
まずやっこ様がなぜ僧侶になりたいのか、僧侶となった後どうしたいのか、将来住職などの職業僧を目指しているのか等々、この辺りがご相談内容からは少しわかりにくいのですが、とりあえずタイトルにある真言宗の僧侶になるには、という点について簡単にご説明致しますと、一番スムーズな方法としましては宗門系大学に入学して学びながら加行をして・・・という流れがありますが、今回のように一般の社会人の方で求人に出ている本山の宿坊寺院で働きながら僧侶を目指す場合、当面は宿坊の掃除や宿泊客の御膳を運んだり布団を敷いたりといった下働きから始め、段々とお寺の生活というものに慣れてもらいつつお経の読み方を習ったり加行を受ける準備をする、という生活になると思います。

お寺が加行にかかる費用などを補助してくれる代わりに将来的にはその宿坊の役僧として戦力となっていただくわけです。
そうした生活の中での精神的な成長云々については、現場での人との御縁や学ぶ姿勢など人それぞれですので何とも言えないところではありますが、働いているうちに「誰かのために」とか「お寺や御本尊様、参拝に来られる方々のためにさせていただける」という感覚に至ることができれば素晴らしいのではないでしょうか。さらにその先にある境地に至れるかどうかは各人の人生の歩み方次第です。

お給料をいただいても高野山内には都会のような遊ぶ場所はありませんから少なくともカネカネうるさいようなところはないと思います。
あと加行に入ると基本集団生活ですが、昔と違って少人数ですし職場で当たり前に会話ができるなら問題ないと思います。私の頃は男同士で気を遣う必要もなく気楽でしたよ。
それに今はコンプラ上いじめやしごきのようなものはご法度ですから、その辺りもいらぬ心配でしょう。

例え周囲に俗っぽいものや醜い煩悩があったとしても自身が染まらなければいいだけの話です。
そして修行前から心構えとか気負う必要はありません。
むしろ肩肘はらずまっさらな気持ちで行に臨んで下さい。

2023年2月3日 17:37
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有り難し
おきもち

一般家庭から真言宗のお坊さんとなりました。 お寺はありませんので普段は普...
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質問者からのお礼

この度はご丁寧な回答ありがとうございました。
在家でも出来る事を考えてみます。
出家したかった理由は色々と人生嫌になってしまい、そんな自分の精神を持ち直したかったからです。人を救う前に自分の今後の生き方を見つめ直せるのでは?と考えてました。
もっと現実を見なければならないのに、何とかなるのでは?とこういう精神状態の時、なりがちです。

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