子供の頃、いじめをしてしまいました
過去の自分の行いに対して、自己嫌悪と罪悪感で、苦しいです。
やってしまったことに対して、これからどう向き合い、どう考えて、どう行動すべきでしょうか?
私は、小学生の頃、いじめをしていました。
同じクラスの女の子を、悪者として扱い、酷い言葉を投げかけ、上履きを隠したり、非道ないじめをしていました。
また、ある男の子には、気持ち悪いと言って嫌って、陰口を叩きました。
小学校を卒業し中学生になり高校生になるにつれて、私は自分がやっていたことに対して後悔と罪悪感を覚えるようになりました。
そのため、人にできるだけ優しく接するように心掛けました。
人に優しくしていると、自分が良い人間に生まれ変わったような気がしました。
ひとりで寂しそうな子に声をかけ、落ち込んでいる子がいれば優しい言葉をかけました。
それを続けた結果、つい最近まで自分が優しい良い人間だと思いこんでいました。
しかし、ふと小学生の時の行いを思い出し、自分が良い人間ではないことを思い出しました。
私がやっていたことの陰湿さ、非道さをあらためて自覚し、強い罪悪感が湧き出ました。
大変申し訳なく思っており、後悔しています。
罰を受けるべきだと思います。
直接謝罪をしたいと思い、相手の連絡先を調べているのですが、相手のための謝罪ではなく、自分が少しでも楽になりたいがための謝罪なのかもしれません。
謝罪はせずに、罪悪感と後悔を抱きながら、生きていった方が良いでしょうか?
私は、今後、どうすれば良いでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どうにもならない自分を真に生きる
ご相談拝読しました。過去のご自身の行為について苦しい思いをお聞かせいただきました。
まず、申し上げたいのはあなたは良い人間でも悪い人間でもなく、あなたはあなたということです。そのあなたが良い行為や悪い行為をする、それはその時々の環境において為されてきたことなのでしょう。
あなたは近年は人に対して優しく親切にふるまっていたのですね。それは過去の自分の行為への反省があったからなのでしょう。では過去の行為は何故してしまったのでしょうか。それはあなたがプロフィールに書いているような内容が原因なのかもしれません。
私たちは自分の行為について自分の完全なる自由意志に基づいて行っていると考えますが、実はそうではないのかもしれません。あなたが生まれてから、いや、あなたが生まれる前からずっと紡がれてきたあらゆる事象・行為の連鎖がその時の環境となり、その中であなたの行為が生まれてきました。それは自分の思いを超えたものであったことでしょう。「こうしようと思ったからこうした」というものも、では何故こうしようと思ったのか?と突き詰め、さらに、さらにと原因を突き詰めれば自分ではどうにもならないものの中に自分がいることに気が付くはずです。
しかし、だからといって自分の行為に何の責任も持たないのであればあなたがあなたとして生きる意味も奪われてしまいます。
あなたはあなたの責任として思うようにやってみたらよいと思います。謝罪も一つの手段です。もちろん相手には配慮して、相手は会いたくもないかもしれないですし、手紙からということも考えられます。
それは罪悪感をなくすためではありません。罪の責任を真に背負うためにするのです。たとえ謝罪が受け入れられたとしてもそれで終わりではありません。人間は誰もがどうにもならないものを抱え、それがいつどんな条件で飛び出してくるかわかりません。
そういう自分を自覚しながら生きていく。そこに確かな道があるはずです。
いたずらに苦しむのでもなく、楽になってしまうのでもなく、あなたはあなたを生きていく。そのための行為を模索し、主体的に生きて生きましょう。そしてあなたが関わった人たちもそのように生きることができるため手段を考えてみてください。
死ぬまで苦しみ続けるしかない
いじめのトラウマで一生苦しむ人もいるかもしれません。
だから、加害者側だって、一生苦しむのも仕方ないと思います。
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏を称(とな)えれば、あなたがどんな悪人でも、阿弥陀仏はあなたを極楽浄土に往生させてくれます。
だからあなたは来世では幸せになれますので、この世では苦しむのも仕方ないとあきらめましょう。
あとは、過去は過ぎ去りもう無いと思って、過去に関する妄想雑念は減らしましょう。
思い出す時間を減らしましょう。
質問者からのお礼
ありがたいお言葉、ありがとうございます。
連絡先や所在がわかれば、誠心誠意、謝罪をしようと思います。
たとえ謝罪ができなくても、自分がしたことの責任の取り方を探しながら前を向いて生きていこうと思います。
ありがとうございました。