霊魂や命の見解について
お坊さんは霊魂や命の見解についてどこまで確信や信念を持っていますか?
いろいろ疑問に思うところあり質問します。
たとえば女性の妊娠の場合
いつから魂が宿っている と明言できるのでしょうか?
法的には 中絶手術ができるのは 21週6日目まで だそうですが
その法律を作ったのは 神仏でもなんてもないただの人間です。
「21週6日目までの中絶は 赤ちゃんの命を奪ったことにはならない」と断言できないはずです。
その前から魂が宿っていて「殺さないで」と声にならない叫びをしているかもしれない。
「どんなことがあっても中絶は絶対にダメ」とアドバイスするなら話は別ですが
単に法令に基づいて「中絶していいよ」とアドバイスする人がいたとしたら
後々「自分は人を殺めたかもしれない」と恐怖にかられることはないのでしょうか?
逆に亡くなってしまった人の霊魂の有無についても 自信を持って見解を言えるでしょうか?
私は
仏壇や神棚に祭っている霊魂は ミカンとかお酒とか 何か欲しがっているのに
その声を聞き取ることができないために無視している可能性を考えたりします。
また、霊魂(ご先祖様)はこの世の自分に対して
金持ちにさえなれば目的のためには手段を選ばずでよいと願っているのか?
あるいは貧困でもいいから人の役に立つ生き方をしてほしいと思っているのか?
それもわかりません。
そもそも霊魂なんて存在しないという人もいます。
メディアで取り上げる霊能者を ボロクソに叩く人もいますが
自称霊能者を否定することと霊魂を否定することは違うはずです。
霊魂の有無について何の根拠もなく言及することは
私には 既に魂が宿っているかもしれない状態で中絶を容認することと同様、とても恐ろしいことに思えます。
胎児にしても 既に亡くなった人についても
どこまでが命なのか? 霊魂はあるのか
分からないから それが分かる人を知りたい 見つけたい
と感じている人は少なからずいると思うのですが
仏教もそれ以外の宗教関係者も、現在生きている人の人生相談に乗る人は多い一方、ここまで私が書いたような内容については考えていない人ばかりに思えてなりません。
私が書いたような内容を追求している人物で信頼できる人がいれば教えてほしいです
(金儲け目的のニセ霊能者には引っかかりたくないので)
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
輪廻を司る微細な意識(心)
ひろもとさま
霊魂というと、何かそのような実体的なものがあるように囚われてしまいますが、それに近いものとしては、(実体的なものではなく因縁に依るものとしての)輪廻を司る微細な意識(心)を仏教では扱うところとなります。
まず、有情において輪廻を司る意識(心)については、下記の問答が参考となります。
輪廻転生の考え方について
https://hasunoha.jp/questions/64430
「心というものはすべて、次の瞬間の心と結びつくものである、例えば現在の心のように。」(必然性)
「死ぬときの心も、心にかわりはない。」(属性)
「だから、死ぬときの心は、次の瞬間、すなわち、次生のはじめの心と結びつく。」(結論)
次生のはじめの心とは、厳密には、中有・中陰の存在における心となります。中有・中陰の存在も何度かその形状が壊れて死を繰り返しますが、また次の形状(意成身・意生身)を取りながらにも、心は繋がっていきます。そして、次生の存在として生まれることになります。
また、
「(各瞬間の)心は、もう一つの、それに先だつ(瞬間の)心から生じる。たとえば、現在の瞬間の心がそうであるように。」(必然性)
「誕生の瞬間における心も、心にかわりはない。」(属性)
「ゆえに、誕生の瞬間の心は前生の心より生じる。」(結論)
と推論されるところとなります。
我々有情は、死から中有・中陰の存在を経て、次のある程度安定した生へと向かうところとなります。
次の生がどのようなものとなるのかは、業の因縁に依るところとなり、人に生まれることができる場合は、どのようにその意識(心)が胎児に宿るのかは、諸説がありますが、死→中有→再生における各それぞれの輪廻を司る微細な意識(心)のありようについて具体的に詳細が記されているものとしては、下記の書の内容が一つ参考になります。
「ゲルク派版 チベット死者の書」ロサン・ガンワン、平岡宏一先生(学研文庫)
いずれにしても、それぞれの有情は、輪廻を司る微細な意識(心)における業の因縁に従って、次の生、境涯が決まっていくものになるのであります。
合掌
質問者からのお礼
詳しいお話ありがとうございました。