今後の生き方が分かりません
私は子供の頃から、死に対する強い恐怖があります。10代後半頃にそれが原因で精神的な病気になり、今も治療を続けています。
死に対する恐怖は、当初よりマシになってきたと感じます。
ですが、最近では自分が年をとることに対してどう考えて生きていけば良いのか悩んでいます。年をとる、と言っても老後の話だけではなく、現在20代前半の私が30代になったら…という、比較的最近のことに悩んでいるのです。
どうやら、年を重ねると若い時にしていたことや好きなことをやめなきゃいけなくなるのでは?ずっと続けているのはおかしいのでは?と、感じているようなのです。
これから頑張ろうと感じている趣味や、今のファッションなどにも悩んでいます。
死に対する恐怖もプラスされて、今やってることって何の意味があるのだろう?ととても悩みます。
今後の生き方がどうしても分からないのです。アドバイスをお願いしたいです。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今を専念するのみ
拝読させていただきました。
釈迦は。
「過去は追うな。未来を願うな。ただただ今を切に生きよ。」
と説きます。
これが人の生きる指針であり、仏教の真髄といっても過言でもありません。
人は過去から形成される経験によって心の蔵にたくさんの思い出や観念を構築していきます。すると未来のことや過去からの思いなどにより「今」の観念を飛ばし、「未来と過去」に縛られる観念(不安)が萌芽されていきます。
人はただ今を生きることだけであるのに、今だけを生きれている人は、大人にはひとりもいないことでしょう。
それだけ、今のみを生きることは単純で、難しいということなのです。
今、きょなさんは20代ですが、「気付いたら今の年齢」です。また数年先も「気付いたら今」になってしまうのです。
この"今を切に生きること"が未来を形成させていき、希望や夢に近づいき、ある年齢が達したときには、過去(今)を努力したことが、未来に『安心』『達成感』『自己評価』など高まる結果をもたらします。
そのとき(未来)には、今のような不安な きょなさんは居なくなっているでしょう。必ず。
未来を考えるのでなく、未来を願うという思考を持ち、未来を実現させてやる。という気持ちが自身を支えてくれるものです。
死は誰も恐れるものであり、仏教の説く『四苦八苦』の「4番目」に"死苦"を置いています。
この苦悩から抜け出すには、本来は「八正道」となるのが根本教理なのですが、日本での仏教を重視する徳目は「六波羅蜜(六度万行)」となります。
簡単にいってしまえば、『利他の実践』をしていくことで、自身の執着を手放していくという方法です。
執着は「苦しみの素」であり、自身で自ら その素(元)を作らなくてもいいのです。
今をとにかく、今だけを生きることにチャレンジしてみてください。
仏教では時間という観念は少なく、「刹那」という極小単位の瞬間しか見ないのです。
今だけを専念できるようになれば、今をたくさん楽しめ、見えなかった幸せや豊かさが必ず見えてきます。
応援していますね。
合掌
今やっていることを知らず 思った側の方ばかり観るから苦しい
あなたの死に対する恐怖とは死を想う時、A死を考えながらB自分が一番恐れている暗いこと・ネガティブなこと・悪いことを考えているから怖い、苦しいのです。
死という事がよくわからないから最悪の事態や失うことを想定して苦しんでしまう。自分のやっていることを客観的にみつめ、私は死が怖いのではなく死のことを考えた時に自分の思い起こす負のイメージの内容がドス黒いのDA!💀と知るのです。人類始まって以来100億越えの人間が生まれては死んで誰一人として「死ぬのはヤバかった」という人、帰ってきた人、一人もいません。👼
人は未来のことを考えるとき、今を忘れています。
人は過去のことを考えるとき、今を忘れています。
これを読んでいる時に過去・未来のことをうち捨てていなければ、この一文字すら読めません。読めているつもりでも文意の真意を読み取れていません。
つまり、人間は未来のことだの過去のことだの言っていますが、本質は「今」の一事しかやっていない!のです。ここは百回読んでください。
ここがわからないと人は未来・過去という思いに騙されるからです。
「今やってることって何の意味がある?」と悩むそうですが、それを考えていときも「今」のはずです。そして今のことから手を放して今を見失いながら妄想の世界に旅立っている姿なのです。
今という一度見逃したら二度と戻ってこない最高のシャッターチャンスを見逃して「今やっていることに何の意味が?」と今の妄想を展開をしているにすぎないと知るべきです。それをやっているのも今でしょ?
今後の生き方が分からないといわれますが、今のことをきちんとやっているときはそんなことは思わなかったはずです。今のことに徹していないときにだけ、よからぬことを思うようになっていたはずです。
考えることは悪いことではなく、考える際に悪いことを考えるから悪いことが生まれるだけです。
よって、自分が今やっていることの本質が何をやっている姿であるかを問うことです。悩みも悩んで解決を見出そうとせず、考えごとをしているだけではないか?どうして自分をいじめるような心の動かしかたをしているのか?と問う必要があります。
心は元々薬は不要。心にとって不健全な動かし方を「してしまうから」心に不具合が生まれてしまう。だから、心の安全運転が上手にできれば脳内事故的な衝突、不具合、暗いことは生じ無くなれるのです。
拝読させて頂きました。
あなたが死の恐怖や年を取ることについてお悩みなさっておられることを読ませて頂きました。詳細なあなたのその思いはわからないですけれども、あなたのそのお悩みを受け止めさせて頂きます。
あなたはこれからの生き方についてどうしたらいいのかと思い悩んでおられるのですね。確かに年を取っていけば今までできたこともできなくなってしまうものもあります。スポーツも趣味でもなかなかできなかったり時間を作ることもできなくなってしまうことありますからね。
社会の中で様々にやらなければならないことも出てきますし、それぞれに与えられた役割や仕事もあります。ただ全く何もできなくなってしまうわけではありません。その年齢や状況に応じて自ずと向き合い方も時間も変わってくるのかと思います。
ですからあなたがやりたいことを今できる範囲でなさっていけばいいと私は思います。一時いっときを大事になさってあなた自身の人生をしっかりと生きていって下さいね。
あなたがこれからあなたが求める生き方をあなた自身で選択なさり、毎日をこころから充実なさって生きていかれます様にと心よりお祈りさせて頂きます。