戦争が怖いです
こんばんは。
日々戦況が悪化し、報道に占める地政学リスクの比率が増えています。
SDGsは食糧安保に比重が移り、防衛費の増大は当たり前のこととして世の中に受け入れられているように見えます。
タモリさんが新しい戦前とおっしゃったことも話題になりました。
こうした出来事を日々感じると心から悲しく、不安になります。
戦争を抑止するためになにかしたいと思い探しても、ウクライナを支援するという方向では様々の手段が出てきますが、戦争反対、日本の軍備拡張への反対ということはなかなか出てきません。
日米安保に期待できないことや、リスクの増大はわかるのですが、私の育ってきた価値観では、平和を希求し続けることが最大の抑止だと思ってきました。
宗教家や個人は平和を祈るために何ができるでしょうか。
残虐な被害状況をきくとおそろしく夜も眠れません。
もしかしたら来年の今頃はこうして穏やかに過ごしてはいられないのではないかとか、自分の親しい人たちが死んでしまうことや、自分が家族や家を失う姿が目に浮かび、胸が締め付けられます。
戦争の回避は抑止力が全てではなく、外交的な努力が第一です。
自衛のために仕方がないという世論が強ければ、戦争がより近づいてしまうと思うのです。今の風潮ではそうしたことを言いにくい雰囲気を感じます。
平和を祈る人たちとささやかに繋がりたいと思っています。
どうすればそうした方々とお会いできるのか、祈るとはどういうことか、お言葉をいただきたく、書いてみました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
煩悩だらけの人間
人間には煩悩があり、煩悩ゆえに戦争も起こします。
敬虔な仏教徒が多いミャンマーでさえ、軍事政権によって、多くの国民は命の危険にさらされています。
つまり、大半の国民が平和を祈っていたとしても、一部のサイコパス的な人が権力を握ったら国民に銃を向けるのです。
何が言いたいかというと、戦争を憎むのも怒りの煩悩だということです。
仏様は、戦争を起こすような煩悩だらけの人間に怒ったり憎んだりしないのです。
怒りの煩悩がない仏様は、戦争すらも憎まないで、ただ、愚かな人間に慈悲の眼差しを向け続けてくださいます。
たぶん仏様は、まるで自然界のカブトムシとクワガタの喧嘩を眺めるような感じで、戦争も人間の習性だから仕方ないと冷静に見守っているのではないでしょうか。
社会情勢がどう変わろうとも、煩悩(欲・怒り・怠け・プライド等)が自分と他人の悩み苦しみを増やすという法則に変わりはないので、自分の煩悩には気をつけて、他人の煩悩には慈悲の眼差しで許す優しさを意識しましょう。
お釈迦様が発見された煩悩と悩み苦しみの因果関係を理解している人が増えれば、戦争も減るかもしれません。
過去わ決して忘れない
拝読させて頂きました。
あなたが戦争を恐れることや平和を求めていこうと思っておられることを心から賛同させて頂きます。あなたがその様に思って行動なさっていかれることはとても尊いことです。
あなたがおっしゃる通り抑止力として軍備拡大していく方法は決して戦争をしないことにはなりません。過去の歴史を見れば一目瞭然です。かつて日本は日本人が生きる為にと平和に生きていく為にと他国に追いつき追い越せと進んでいきあの様な悲惨な大戦争を巻き起こしてあまたの人達が理不尽に亡くなっていき、あまたの人達が本当に大変辛い思いをなさいました。ですからあの様なことを決してしてはいけないと私達は本当に理解して行動していかなければなりません。一般の人々も宗教者も権利者もです。
ですからしっかりと過去を忘れないことです。そして戦争をしないこと平和を求めて常に生きていくことが大切です。
私達宗教者も決して戦争を認めない許さないそして日々平和を目指して考えて行動していきたいと思います。
これからもしっかりと戦争をせずに平和に生きることを目指して生きていきましょう。