縁を切った者に対する気持ちの整理
弟は父と私と縁を切りました。母とは会っているようです。仲良し家族でした。先日、弟夫婦以外で旅行に行き楽しかったのですが、弟が縁を切った原因の一つは私でもあります。幼少期から押さえつけ、理不尽に接してきました。因果応報ですが、両親のことを考えると焦る気持ちがあります。なんとか和解して欲しい、自分も仲直りしたい。そう思うのです。歩み寄っても無駄だったのですが、父に対して申し訳ない気持ちが特にあります。私と父はお互いに経営者ということもあり性格も価値観も似ています。弟に関してはもう何をしても無駄ですが、両親のためにもまた円満な家族に戻りたいのです。こんな形で親不孝なまま死なせたくありません。人はいつ死ぬかわかりません。だからこそ、こんな形でバラバラになりたくないのです。家族だからと言ってみんなが揃うわけでもないし、それぞれ家庭があってそこが円満なら良いのではないかと言う気持ちもあります。家族でも価値観が違うこと、合わないこと、当たり前だと思います。これまで私たちは同じ道を仲良く辿ることができたけど、違う道に歩きたくなった、それが弟です。諸行無常とはまさにこのことではないかとも思います。無理に引き留めて戻そうとしたり、何かを強制して的に戻ったとしてもそれは本質的に戻っていません。形だけのために誰かが犠牲になる必要もなく、行きたい方へ行けばいいのです。頭ではわかっていますが、どうしても清々しい気持ちにはなれません。かといって、自分の行動を後悔してるかといえば、全く後悔はありません。なるべくしてなった、いずれこうなっていたと思うからです。それぞれの道に進む。これで良いと思いつつ、両親がこのまま死んでしまうのが嫌です。気持ちの整理がつきません。
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ご相談拝読しました。色々と複雑に絡み合っているご様子、お察し申し上げます。
しかし、分けられるところは分けましょう。ご両親のためとは言うものの、自分のためではないのか。仲直りしたいのは誰なのか。
想像からご両親に申し訳ないとなるのでなく、実際のご両親のお考えを聞く。特にお母様はご事情もよく汲んでいるのではないでしょうか。
親から見るとご姉弟感の問題を客観的にとらえている部分もあるかもしれません。
家族であっても離れる縁もあります。家族だからこそ難しい面も多々あります。時を経ないと分からないことも、もしかしたら大切な人の死を経ないと分からないことだってあるかもしれません。
出来ることだけをして、結果に執着せず、どうか落ち着いて。それぞれの立場、視点に思いを馳せてみましょう。伝えることよりも、聞くことの方が大切なときもあります。そしてそれが難しい・・・。
それはこうだから!と口を出してしまう前に、一端は相手の話を全て聞くことからはじめましょう。
質問者からのお礼
ありがとうございます。