猫ちゃんを轢いてしまいました
懺悔と、供養の方法をご教示いただきたく質問いたしました。
昨日、彼氏と遠出の帰り、高速道路の中央分離帯の草むらから猫が急に飛び出してきました、
驚いたのか車の前で立ち止まってしまい、間に合わず、そのまま……。
私は取り乱し、彼氏は無言で車を走らせ、お互い落ち着きを取り戻したSAで警察と道路局に連絡しました。
猫のご遺体は見つからなかったそうです。
帰りに近くの神社に行き、遅かったので閉まっていましたが外から手を合わせて帰りました。
同棲中の家で、猫を飼っています。
なのに、猫を殺してしまった。生きていたのに、私たちが殺してしまった。
家の猫に合わせる顔がなく、
道路の真ん中で立ち止まったあの時の猫ちゃんの顔がフラッシュバックし、涙が止まりません。
この罪をどう償えばいいかわかりません。
彼が今日、白い花を買ってきました。
机に生けて手を合わせますが、目を瞑るとあの瞬間が蘇り、怖かっただろうこと、痛かっただろうこと、折角生まれてきたのに迎えるはずの明日を迎えられなくしてしまったこと、思いが募って涙が溢れます。
彼のためにも、家を暗い雰囲気にしたくないのですが、明るい話題を笑顔ですることに罪悪感があり、塞ぎ込んでしまいます。
事故に遭った猫ちゃん、安らかにあの世に行けるでしょうか?
私にできる贖罪は何でしょうか?
生まれ変わったならば我が家で迎えたいとすら思います。
どうか、猫ちゃんへの供養と、私にできることがあればご教示いただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
多くの命の上に、この私がいるということを忘れぬように。
動物と共生しているとはいえ、思いもよらぬ事故がおきますよね。咄嗟のこと、飛び出されてはどうしようもなかったことでしょうね…。
小さな生き物ですから、どれほどの怪我だったのか。見当たらなかったとのことですから、亡くなったとも言い難い。
私たちは、様々な命をいただきながら、自分を保っています。奪ってしまうことで、生きているのが人間です。仏教では、その自覚とともに、様々な恩恵をいただいているという感謝を。猫ちゃんだけではないはずです。多くの命の上に、この私がいるということを忘れぬように。
あの日、あなた方が別の行動をとっていたら、大事故でこの世にはいなかったかもしれません。縁あって今があるということを。
巡り合わせの中で、生かされていることを想いましょう。
身近な場所(寺)で構いませんから、参る習慣を。いのちに向き合う縁としていきましょう。
私もこちらから手を合わせます。
合掌
南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)える
手を合わせ、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏を称(とな)えて、亡くなった猫が阿弥陀仏の救いの光明に触れて極楽浄土に往生できますようにと願いましょう。
あとは阿弥陀様にお任せしておけば大丈夫です。
合掌
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶつ
なむあみだぶー
礼拝
なお、哺乳類だけを可愛がるのは人間の勝手です。
普段から、小さな虫等が車にぶつかったり踏まれて死んでいるはず。
相手が猫だろうと虫だろうと、事故で呪われたり祟られたりは無いと思って安心してくださいね。
質問者からのお礼
お言葉をいただきありがとうございました。
朝、おふたりのお言葉を拝読し
今日夕方に、近くのお寺に二人で行ってまいりました。
手を合わせ、猫ちゃんが安らかであるよう祈ってきました。
家に戻ると、心が落ち着いたように感じました。
おふたりの言葉を受け、自分を顧みました。
私は清い人間のつもりをしていました。だから、なぜ悪いことをしていないのにこんなひどいことが私たちに起きるのかとどこかで思っておりました。
でも、この世に生きる限り、私は殺生の中にあり、それを見ぬふりをしていただけなのだと。
思い知り、理解いたしました。
中田さま
寄り添ってお返事くださり、心に沁みました。
たくさんの命の上に私が在ること、お言葉を受け気づくことができました。
一緒に手を合わせてくださり、本当にありがとうございます。
願誉浄史さま
お言葉のとおり、称えてまいりました。
ふと心が落ち着いたように思えたのは、願誉浄史さまの仰ったように、阿弥陀さまが預かってくださったからだと思えました。
ありがとうございます。