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亡くなった父の思い出が嫌なものばかりです

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昨年、父が亡くなりました。
母といざこざが合って、実家とは20年以上絶縁状態です。
父は母を罵るか、私を詰るかで、私はいつも嫌われ者でした。
母は、父に愛される妻でありたいために、私の見方になることはありませんでした。
いつも父が絶対で、最優先の家風でした。
厳しい躾の反面、大学まで出してもらいました。
私が家を出てから暫くしてから、父から育ててやった費用を返せと何回も留守電にメッセージを残されました。
父の手伝いで私が稼いだお金は、勉強させてやった授業料と言われ搾取されました。
私は掛け持ちで生活費を工面しなければなりませんでした。
祖母の葬式に喪主の父に、私は無理して作ったお金を渡しました。
私には、とんでもない大金でした。
父は、そのお金で母と豪遊し、自分の見栄のために他所様にご馳走を振る舞いました。
私はとうとう鬱になりましたが、幸い、友人達に助けてもらい、数年かかって何とか回復しました。
暫くして、私は「毒親」という本に出会い、衝撃を受けました。
私は考え方や両親から押し付けられてきた価値観や教育を自分自身を省み改めました。
すると、ある日、父からひょっこり電話があり、全て水に流せと言われました。
これまでは、ビクビクしたり、ドキドキしたりで、擦り切れるほど気を遣っていた父との会話に、何も感じず、意味も分からず、黙って受話器を置きました。
それから1年後、叔母経由で、父の容態を聞き、父への連絡を何回も促されました。
大袈裟で、父にそっくりな叔母が私は苦手でした。
私は父に連絡をせず、父は息を引き取りました。
父が亡くなったことを、たまたま会いに行ったもう一人の伯母から、聞きました。
母や兄弟、叔母からは何の連絡もありませんでした。
不思議と、私は、悲しいとか、驚きとかの感情がありませんでした。
今もありません。
父の存命中にはなかったのに、時々、父との思い出が頭を過ぎりますが、
楽しかった思い出は一切ありません。
幼少期には楽しい思い出も有ったはずなのに、楽しかった頃の写真もたくさんあるのに。
私は、既にネガティブな感情を父に持っておりません。
亡くなった父の思い出が嫌なものばかりなのは、
何か私に執着があるのでしょうか、何がそうさせるのでしょうか。
心を軽くし、自分の人生を生きたいので、ぜひ助言をお願いいたします。
よろしくお願いします。

2023年3月8日 16:48

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

優しさを向けてくださる人たちとの関係や時間を大切に重ねて

プロフィールも読ませてもらいました。
それだけ、父親の存在に傷ついてきたあなたがいるからではないでしょうか。例えば、厳しい中にも愛情や優しさを感じていたり、大切にされ尊重された記憶がしっかりと刻まれていれば、感謝や寂しさも湧き上がっていたでしょうね。悲しみの形は、人によって違いますから、あなたの中にもあるのでしょうけれど、今の気持ちがそのまま、今の素直な感情なのでしょうね。

亡くなった人に対して、今までの恨み辛みが無かったことにはならないし、今でも記憶に苦しんでいる人だっています。生きてきた環境・与えられた環境は、それだけ人生に影響を与えてしまいますよね。

水に流せと言ってきたのも、自分(父親)の生き方を肯定するかのように、今までの罪を懺悔し終えたかのように、一方的であり乱暴なことだなと思います。あなたに詫びることもなく、あなたの気持ちを確かめるわけでもなく、あまりにも身勝手ですものね。

そう思うと、あなたの気持ちは、自然なことでしょう。どうか、お辛かった思い出に苦しまないで、あなたに優しさを向けてくださる人たちとの関係や時間を大切に重ねていってくださいね。もう何ものにも縛られることはないのですもの。

2023年3月9日 14:48
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おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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質問者からのお礼

中田様

もったいなくも、このような温かなお言葉をいただきまして、深く感謝いたします。
私は、無関心であることが罪深いことなのだろう、と心を傷めておりました。 
拝受のアドバイスを大切にし、自分を大切にして生きて参ります。
ありがとうございます。

「父親のこと」問答一覧

年老いていく父

2年前に相談させていただき、その時はありがとうございました。 改めてまたご相談させてください。 私は精神疾患の母にずっと翻弄されてきました。その間は心身共にずっとギリギリか限界なところで生きてきました。 そして母からは離婚した父はいかに酷い男かをたくさん聞かされるかと思えば「父」というワードは禁句な環境でした。 でも、私は父が大好きだったので、母に内緒で夏休みに片道数時間かかるのに、日帰りで会ったりしていました。 父も母に相当振り回されて離婚に至っています。 母は私への依存心が強く、非常に傷つきやすいのですが、私を側にいさせるように天然で支配するような人なので、私は父のことを普段は考えないようにもしていて、実際に忘れている日の方が多くありました。 その母がようやく施設に入る形で落ち着き、私も晩婚という形で結婚をしました(子なし)。 するとこれまで蓋をしてきた父への気持ちが溢れ、物理的な距離が大きい中で、会う機会を作ったり、ほぼ毎日メールで連絡ができるようになりました。これは私の中では革命的な出来事と言っていいくらいでした。 ところが、ようやくこのような状況になれたのは、ここ2.3年ですが、すでに父は後期高齢者の年齢になっていました。 何でもひとりでできる父。でも、老いは抗えず、会う度に小さくなくなっている気がして胸が張り裂けそうになります。 本当は父も今までひとりでずっと寂しい思いをしてきたのに、母の世話が大変だからとこれまで放置に近い状態だったことへの罪悪感と申し訳なさでいっぱいになります。 せっかく親孝行が出来たと思っても帰りがけには、お弁当代といって数万円渡され、結局もらってばかりの自分。 新幹線での別れ際はお互いに強烈な寂しさに襲われるけど、平静を装っています。 旅行に連れて行ける状況になったのに、その時には父は長く歩くことはできなくなっていました。 そして父は自分が死んでから、家をどうするかなど優しく語ってくるのです。 残された少ない時間を目いっぱい愛情をかけようと思いながら、物理的な距離の大きさと、これまで何もしてあげられなかったこと、してもらってばかりなことで涙が止まらなくなります。 これまでの何十年と寂しい思いをさせてしまった罪悪感とどう向き合えばいいでしょうか。助言をいただけましたら幸いです。

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父親との付き合い方

都内一人暮らしの社会人です。 実家との距離はそれなりに近く、ペットに会いたいこともあり、三ヶ月に一度程度帰省することがあります。 仕事を休んでいることや体調のことは伝えていません。 その度に、父親との会話の噛み合わなさに傷つくようになりました。 ・冗談や会話が通じないことが多い。 ・母との会話に割り込んできて、自分が中心にならなければ、会話を中断させる。 ・人に手間をかけさせるな、自分でやれ。と言う割には、一泊二日の入院程度(骨折)に私を呼び寄せ、面会時間がすぎたから帰るねと伝えると、気が利かないなどと怒る。 ・一回り上の男性と交際しているが、そのことに対して「もっとまともな人間だと思っていた」と言われる。 ・親戚との集まりに呼ばれた際に「お前は余計なこと言うなよ」と言われる。 ・大学生時代、アルバイトで貯めたお金で買ったウイスキー3万円分を捨てられた。 ・成人済みでタバコを吸っていたら殴られ、罰則として、門限20時までを設けられた。 などと傷つくエピソードが多かったです。 学費を出して、育ててもらったことには感謝しています。(勿論、伝えています) 私は学費以外を高校生からアルバイトで賄ってきましたが、弟は全て親から出してもらっており、お小遣いまでもらって、優遇されているように感じ、疎外感を感じます。 母とペットは好きで、時折会いたくなるのですが、父との付き合い方はどうするべきでしょうか。 なるべく流すようにはしていますが、それでも傷つきます。

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父との関係で将来実家に戻るか悩んでいる

大学卒業後、実家に戻って就職するか、一人暮らしを続けるか悩んでいます。 現在大学四年生で、人間関係の構築、勉強、バイトが辛くて去年不安障害と鬱状態が強くなり引きこもってしまい、半年〜一年留年予定です。 私が一人で生活できない状態なので、母は「早く帰って来て」と愉します。 しかし私の父がズレた人で、帰省が不安です。 教育費は十分に与えてくれ、留年も認めてくれたので、金銭的にはとても援助してもらいました。十分恵まれていることは承知しています。 ただ、父親は非常に不安定な性格で、収入が減るなど気に入らないことが起こると暴力的になることが怖いです。 小さい頃は泣けばうるさいと脅され、私が小学生〜中学生のときは「道で卵売りでもしたら」「腎臓を売ったら」「塩酸の海で泳いで」「AV女優〇〇(私の名前)の□□が見れる」と言われました。他にもセクハラめいた発言をされました。本人は奇声を上げ大音量でヘビメタを流しうるさいのに、私達には包丁で脅したこともありました。 母に至ってはよく叩かれたり首を締められたりしていました。 清潔感も皆無で、食べ物や飲み物をあちこちに飛ばします。父親が寝そべる床は油で滑ります。 こんな性格の父は高学歴で、私も同じ大学に入学しました。 進学で遠方へ引っ越したから母は「〇〇ちゃんは逃げられるけどお母さんは一生逃げられない」と言っていて、母が可哀想に思えました。 私がいるから離婚できず、父の死亡後の保険金を狙っているようです。 また実家に自分の部屋がないこと、貧しくないのに歯列矯正を受けさせてくれなかったことが引っかかっています。歯列矯正は将来私が貯金して受ける予定ですが、母は矯正なんて気にしすぎだ、という感じです。 以上の理由で帰省が怖いです。 一方で、私が去年から生活が困難で勉強できずゴミ屋敷に住んでいる状態なので、実家先で就職してもいいのでは、とも思います。 最近私が冬休みなどで一時帰省してるとき、父親はケーキや美味しいものをくれるようになりました。以前より暴力性が収まった気もします。けれどそのケーキが歪んだ愛情表現のように思えてなりません。 親に対してお金と食べ物にしか感謝できない娘は最低ですか? 私は実家で安心して過ごせるでしょうか? 就職後も一人暮らしをして自立した方がいいのは分かっていますが、体力的・精神的に厳しそうです。

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父の死が受け止めれない

今年の8月30日に父が癌で他界しました。 享年60歳でした。 今年の初めより余命宣告を受けており、亡くなる2ヶ月ほど前から看取りの方針で同居することになりました。 私は看護師をしているのですが、現在育休中で他の家族より長い時間共に過ごし、点滴等の介助、病院の付き添いも行っていました。 入退院を繰り返してきてた父でしたが、 他界する数日前に「しんどいから病院へ行きたい」と口にし、入院となりました。 点滴加療で身体のしんどさは軽減し持ってきた梨まで食べてくれるまで元気になっていました。 早く帰ろうな!また来るわ!と言ったのが 最後2日後に危篤状態になって亡くなりました。 余命宣告を受け医師から何度も話をしてもらい 看護師をしている上で経験上他の人よりわかることも多かったのですが、いざ本当にいなくなってしまうと受け入れれない自分もいます。 その反面淡々と葬式の準備や、死後の身辺整理等を行っている自分もいます。 現在子育て中ということもあり、哀しみに浸るということはなく、父がいなくなっても当たり前の日々を過ごしています。 時間がある時に父との思い出を 思い出そうとすると頭の思考が拒絶して 亡くなる前のことも考えることを自己で阻害してしまいます。 悲しんであげるのを父は望んでいるのではないとは思いますが、淡々と法事をこなし、 日常を過ごすことにすごく嫌気がさしてしまいます。 忘れてはいません、しかし具体的にこう話したりこんな様子だったということを振り返ろうとしても考えられません。 こういう時はどうしたらいいですか。

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父と距離を取り、自分の道と向き合う勇気を

私の父は自閉スペクトラム症です。それは別に気にしていないのですが、とにかく敵を自ら作る癖、これに私や家族、そして本人がとても苦しんでいます。 気にしなければ良い事に一々反応しては、見下したり怒りを撒いて、自分も他人も傷つけます。職場でも似たような事をしているらしく、自ら敵を作ってはパワハラを行い、そのせいで職場をリストラされてしまいました。 家でもいつも何かしらの愚痴や文句、罵声ばかり。その矛先は家族にも飛び、私自身も精神的虐待を受けてきました。 私としては父には父自身や父の大切な人の幸せを願い、人生を楽しんで人と喜びを分かち合う。そんな人生を送れたらきっと父も幸せなのではないかと思い今までそうなれるよう助言などをして接してきました。 しかし父は自身にとって嫌な事は全部他人のせいにする癖がやめられないようで、こちらの意見に耳を傾けてくれません。傾けても聞いてやっていると言う意識でいます。 父を助けようという気持ちは私のエゴ。父は望んでないかもしれないし、逆に私が父に望みすぎではないかと言うのは承知しています。ですが今のままではあまりにも苦しそうで…見捨てられずにいます。しかし私自身が疲れてきているのも事実です これは父自身の課題でもあるし、父の心を変えられるのは父だけだと思うので彼とはもう距離を取り、私は私自身の課題や道と向き合おうと思うのですが、勇気が出ません。 なのでどうか私に、父から離れ自らの道と向き合う勇気を下さい。 励ましや応援、出来れば助言などを貰えると幸いです。

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愚かさで父の寿命を縮めてしまった

 コロナ前のことで、父は神経難病末期で、何度目かの誤嚥性肺炎で入院しました。療養型病院なので積極的な対応はあまりなく、嚥下困難で食事に時間のかかる父の希望で、食事介助に行っていました。 そして家にいる時と同様に、あるビタミン剤を飲ませていました。 医者にはいい顔はされないと思ったので、独断でこっそりと。 1か月ほどして、主治医から呼ばれ、体の全部が機能しなくなっているので、と暗に覚悟をするよう言われました。ここでようやくビタミン剤を飲ませるのを止めました。 その後しばらくして容態が急変し、このままここで治療するか、急性期病院に転院するか尋ねられた時、一瞬頭をよぎったのが、ビタミン剤のせいかも、急性期病院で詳しく検査して、状態の悪い父に勝手に飲ませていたのがわかったら非難される、ということでした。すぐに母が父の負担を考えて転院を否定したのと、主治医から治療そのものはここでも特に変わらない、と聞いたので、どこかホッとして転院しないことを決め、父はその後亡くなりました。 後に主治医にビタミン剤を飲ませていたことを告げましたが、特に父の病状には関係なかったとの返答でした。 しかし、飲ませたことも愚かでしたが、転院に躊躇したのは、自分の保身とエゴです。あの時、急性期病院で積極的な治療をしていたら、もう一度持ち直したかもしれない、と今更になって毎日悔やんでいます。 父は嚥下困難でも何とか食事を口にしようと懸命で、全部機能していないと言われる体であっても、必死で自力でトイレに行こうとしていました。 そんな父の命の瀬戸際に、母が希望しなかったのをいいことに、己のエゴで父の寿命を縮めてしまいました。  自責の念と後悔で、胸が苦しいです。正直、死んで詫びたい気持ちですが、残される母のことは心配するな、と最後に父に約束したので、今はそれは出来ません。母には経緯をすべて話しました。母は父の状態からあまり積極的な治療を望んでいなかったようです。しかし、父自身は一日でも長く生きたいという強い思いがあった気がします。  この罪の償い方をお教えください。

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父の変化は私のせいなのかもしれない

いつもありがとうございます。 また、父のことで相談させていただきます。 母が亡くなり、施設にお世話になっているのですが、最近は時々妄想のようなことを口にしているようです。 若い時から、思い込みなのか常識から外れたことを口にすることがありました。 またお父さんの妄想が始まったとあまり関りを持ってはいませんでした。 母がそばにいたので母が常にたしなめていたようです。 今現在母もいなくなり、寂しい思いをしているとは思います。 私は月に3から4回は父に会うようにはしているのですが、歩くのがおぼつかなくなってきており、一人では外に出ないようにさせています。 もっと自由にさせていたほうが、父は元気でいたのではないかと最近考えています。 施設のほうからの依頼もあり、一人での外出をさせないようにする選択をしたために父の元気を奪ってしまったのではないかと考え始めました。 歳をとり仕方のないことだとはわかっておりますが、父に対して申し訳ないような気持ちになり、心の整理がつきません。 本当にいつも愚痴のような相談になり、申し訳ないのですが、父の老いをきちんと納得でき、私自身の心の整理ができるようにお言葉をもらえればと思います。 お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ