発起心について
私は34歳で会社員として働いているものです。
出家する事についての質問です。
私は今まで人より良くありたい、という虚栄心で人に対する劣等感で生きてきました。そのため親しい人やパートナーなどはおらず、なぜ生きているのかよくわからない空虚な状態が続いています。
一時的な慰みとして飲酒、暴食などをして気を紛らわしますが虚しさを感じうつうつとして気持ちになっています。
仕事も順調とは言えず、自分の居場所が無いと感じ、この職場を去りたいと常に考えています。でもそれは逃げているのではないか?という葛藤があります
職場の方は良い人ばかりなのですが、私自身の問題で態度に出てしまうため自分に対して罪悪感があり、それが元気が出ない原因にもなっていると思います。
(いい歳してお恥ずかしい限りなのですが・・・)
気力がわかない状態が辛く、自分なりに考えたのが出家です。環境を変えて厳しい環境に飛び込めば自分を変えられるのではないかと一縷の希望をいだいています。
20代前半のころから生きづらさを感じ、強い興味を持ち仏教書などをよく読んでいました。(ブッダ、道元禅師、親鸞上人の著書)出家願望はあり、親などにも話しましたが反対にあい今まで生活をしてきました。しかし年齢を重ねて自分が人生をかけて学びたいものは仏教だという確信めいたものを感じていて、生き方として僧侶の姿勢を学びたいという気持ちがあります。
老いた時、病気の時、死ぬ時苦しみが襲ってきたときに苦しみを和らげてくれるのは仏教ではないかと考えています。また自分が辛さを感じて生きてきたため克服、寛解できたときに苦しむ誰かの力になれるのではとも感じています。
もちろん出家したからといって完全に救われるわけではないと思いますし、修行の厳しさや職業としての僧侶を成り立たせることの難しさも考えないわけではありません。このまま社会人として生活し、仏教を学びながら日常を修行として生活していく道もあることは頭ではわかっています。
しかし自分の中では、一度きりの人生、年を重ねて後悔して死ぬよりも、昔からやりたいと思っていたことをやるべきなのではないかと考えています。
皆様にとって、私が出家をしようとしているきっかけについてどう思われますでしょうか。
これは逃げでしょうか。発起心でしょうか。
ご回答いただけますとありがたく存じます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
信念をもって望むこと
ご相談読ませていただきました。私は20年前にサラリーマンから僧侶になりました。
あなたの一つ前の質問も読ませていただきました。その中でご自分には自信がないとお書きでした。そして現在のお仕事も順調では無く、お酒などに逃げることもあるとの事。
厳しいことを申し上げますが、現世の生活から逃げるために僧侶になりたいとおっしゃるなら言語道断です。
僧侶になる目的、仏教の目的、どのような僧侶になりたいのか、真剣に考えてなりたいと思っているのか。
それから、職業としての僧侶という記述がありますが、僧侶は職業ではありません。
僧侶は生き方そのものです。
まぁ、それでもどうしても僧侶に成りたいとお考えでしたら挑戦して下さい。具体的に僧侶になる為には師僧が必要です。どの宗派でも本山で得度するには師匠となってくれる僧侶が必要です。あなたが師僧になってもらいたいと思う宗派の御住職に弟子にしてもらうようにお願いするのです。そして弟子になる事が出来たらその宗派の作法にのっとり修行が始まります。
最後のあなたの質問ですが、逃げなのか発起人なのかは自分の心に聞くべきものです。申し訳ありませんが文章全体から受けるイメージからは甘えしか感じられません。よくご自身で自問自答して、僧侶に何が何でも成るという信念があると言い切れるならば挑戦してください。合掌
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
自分自身に問いかけた時に、自分の弱さからくる甘えがあり、現世の生活から逃げるという意味もあるように思います。
もちろんそれだけでなく、昔から仏教を学びたい、僧侶としていきたいという気持ちと、ゆがんだ心を修行で強制したいという気持ちもあります。
在家での修行を受け入れてくるお寺様がありますので、近々お話をお伺いして、
もし受け入れていただけるようであれば心して僧侶への道を歩みたいと思います。