戦争の時代とどう向き合うべきか
ロシアによるウクライナ侵攻から一年が経ちますが、戦争が終わりません。
私は仏教を信じていますが、ドストエフスキーやトルストイとか、ロシアのキリスト教思想家から信仰について学ぼうとしています。だからあの人たちの国が残酷な行為を行っていることがすごく悲しくて仕方ありません。ニュースなどでロシア政府に無理やり動員された兵士が泣いたり、砲爆撃でウクライナの街が破壊されていく様子を見ると不快になります。
ウクライナの人達が憎悪をたぎらせていく様子を見ると、…日本も戦時中は似たような目線で見られていたし、これを以てウクライナ人を批判するのは馬鹿げているのですが…何とも言えずいたたまれない気持ちになるのです。
僧侶の方々は、このように国際紛争が泥沼化している現代をどのように捉え、どのように行動すべきだと考えているのでしょうか?ご意見をお聞きしたいと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一歩間違えば自分も同じ
戦争は悪ですよね。
暴力的な夫婦喧嘩を児童に見せたら、児童への心理的虐待に該当します。
戦争も大人同士の暴力的な喧嘩なので、戦争状態というのは大規模な児童虐待(心理的虐待)と言えるのではないかと、私は個人的に思います。
ただ、私たちには煩悩がありますから、一歩間違えば侵略者・加害者になり得る危うさを、誰もが持っていると思います。
世界一になった侍ジャパンですが、私たちの先祖である侍は戦のプロですからね。
たとえば私は昔から、スーパーサイヤ人のように怒りでキレて強くなって暴れてやりたい、そんな衝動や憧れが頭の片隅にありました。
また、日本ではキレる若者(残虐な犯罪を犯す少年少女)が社会問題になったり、海外では銃の乱射事件が毎年発生します。
結局、煩悩だらけの私たちは、立場が変われば犯罪者にも独裁者にもなり得る危うさを持っているのではないでしょうか。
だからこそ、素早く煩悩に気付き、煩悩を多少なりとも制御するテクニックである仏教は、尊い教えなのだと思います。
私たち一人一人が、自分の煩悩には気をつけて、他人の煩悩には「お互い様」の慈悲の眼差しを向ける。
それも難しいならせめて南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えて、仏様の大慈悲を尊ぶ。
それが人類のとるべき行動だと、私は思います。
あくまで個人的な意見です。
戦争は罪悪です
拝読させて頂きました。
あなたがロシアのウクライナ侵略戦争を見て大変心を痛めておられることを読ませて頂きました。
私も同感です。一日も早くあの愚かな極悪な侵略戦争が終結して誰しもが安心して安全に生きることができる様にと切に祈っています。私もそうですがあまたの寺院や宗教施設では毎日あの戦争が一日も早く終結することを祈っています。
争いや掠奪や虐殺や戦争は最も愚かな悪行ですし、それにより私達全てのものが大きな苦しみを味わうことになります、そして世界やあまたの生きものや自然に対しても大変な被害を与えてしまいます。
その根源は私達の愚かさです、貪りによる際限のない欲望や怒りや憎しみやうらみや殺意や狂気です。私達の悪意から全て発しているのです。
その様な悪意や悪言や悪行を決して起こさない決して広げていかないことです。そして誰しもが自分や周りの人達やものごとを心から大切にしてお互いのことを心から敬い尊重して尊敬して思いやりあらゆることを分かち合い助け合うことが必要です。
私達はそのことを本当に理解して誰しもが自らの心に肝に銘じて生きることです。
先の第一世界次戦•第二次世界大戦等の紛争•戦争にしっかりと向き合いしっかりと学んでいかなくては私達には未来はありません。
仏教は当然ながら一切の争いも殺生も認めません、許しません。
私達はその様な愚かなことをしてしまう本当に愚かな極悪な存在であることをしっかりと理解して、決して争いや殺生をしない、悪意や悪言や悪行をしないと日々仏様や神様やあまたのご先祖様やあらゆるものに心から誓っていくことです。
あなたがこれからの未来を過去の愚かな悪行を決して忘れることなく、あなたを周りの皆様を心から大切になさりお互いを尊重して思いやりながら心から豊かに皆様と一緒に幸せに安心なさって生き抜いていかれます様にと切に仏様や神様やあなたのご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。私達が自分の中の「煩悩」に向き合い、こうした事態をよく見つめることの重要さが分かりました。