淋しさが抜けません
こんにちは。
いつもありがとうございます。
父が亡くなり1年半になりました。
コロナ禍ということもあり、最後の2週間は入院したら医師からの説明の日に15分だけの面会しかできませんでした。
本人には死が近いとは伝えてなかったので改まって気持ちを伝えることもできず逝かせてしまいました。
母や妹もそれぞれ悲しみを抱えているとは思いますが、私がいつまでも淋しさを引きずっているのを不思議に思われている気がします。
各自の想いなのでいろいろと違いがあっても仕方がないとは思うものの、私自身の気持ちは癒えなくて、感傷的になりすぎているのかな?と考えてしまいます。
でも本当に淋しいんです。
もう父には会えないんだなぁと思うにつけて悲しみが溢れてきます。
家族にもそこまで共に語り合える人がいなくて、それも淋しいです。
どうしたら私の悲しみは薄れるのでしょうか。
気持ちの持ち方を教えていただけないでしょうか?
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お父様は常にそばに居ます
お父様のご逝去、心よりお悔やみ申し上げます。私は父を亡くして17年になります。去年無事に17回忌を終えました。それでも父を思い出すと寂しさを感じます。ましてあなたはまだ一年半ですよね。
私は坊主ですから、本堂で毎朝お経をあげます。その時に毎日亡くなった父や母を思います。そして感謝の気持ちを持って今日も一日がんばろうと誓います。
身内の死は量り知れないショックですね。
そう言う時はお仏壇や墓前に手を合わせてください。そして亡きお父様とお話ししましょう。故人と向き合うのです。お父様は仏様としてあなたに慈悲の心を手向けてくださいます。これを難しい言葉で回向(えこう)と言います。
亡き人と私たちは、決して一方通行ではありません。あなたがお仏壇にお詣りすると、亡き人の為に手を合わせたはずなのにお詣りしたあとに何故かほっとする、心が落ち着くと言うことがありませんか?
これが仏様からの回向なのです。
手を合わせて日常のこと、ほんの些細なことも報告しましょう。必ずお父様は聞いていてくださいます。そして、「大丈夫だよ、心配ないよ」と慈悲の心をくださいます。そう考えればあなたの淋しさも少しは薄れるのではありませんか。合掌
質問者からのお礼
宮本さま、回答をありがとうございます。
何年経っても亡き人への淋しい想いはあるものなんですね。
私が感傷的すぎるのではないと聞いて安心しました。
母や妹と、父について語り合いたい気持ちがあるのに思いが伝わらず、一人で淋しさを抱えこんでいる日々です。
これからは直接父に向かって語りかけてみます。
生前はなかなか面と向かって長く話す機会も持てませんでした。
そのことへの後悔も含めて手を合わせ、心で話しかけてみます。
淋しさが温かさに変わるといいなと思います。