過去の失敗が頭を支配し、罪悪感で一杯
過去の失敗の罪悪感が自分の行動を制限してしまいます。例えば、「親にたくさんんの心労や迷惑をかけてしまった」や、「自分の人生の時間を無駄にした」など理由はたくさんあるのですが、一番は「結婚」です。今30代後半ですが、コロナ前までは30代前半とまだ若く、割とモテるほうだったと思います。(自慢したいわけでは決してありません)容姿だけは以前から褒めて頂けることが多く、また社交的で明るくよく話すので、人が寄って来るタイプでした。ですがコロナで実家に3年引きこもり、現在は友達もおらず、独身で30代後半になってしまいました。正直人と接するのが怖いんです。過去の経験上、女性は何かと「自分より上、下」などと比べてきますよね。自分が独身なことをあざ笑われているようで人と話すのが苦痛です。こういうことを素直に話せる友人でもいたら良かったですが、それすらできなかった、関係を築けなかったのも自分の責任。唯一好きな韓国アイドルを見てはげみにして、なんとか容姿だけはキープしようと美容に力入れたり、ダイエットしたりしていましたが、自分の年齢が引っ掛かり、もう何をやってもダメだと思ってしまいます。マスクで肌も劣化し、見た目を磨くのも、やっぱり以前のようにはいかない気がします。なぜ綺麗なのに結婚しないの?や、こんなに明るいのに、きっとこの人は原因があるから結婚できなかたんだ、ときっと思われるんだと思うと、死にたいような気持になります。(Twitterやネットの見すぎかもしれませんが。。)自分がもっと若いうちにしっかり考えて結婚していたら、自分が今不幸なのは自分の責任なんだ、と、繰り返し繰り返し自分を責めて、頭の中で考えてしまいます。他の人は全てうまくいっていて、幸せそうに見え、自分だけがこの世の終わり、でも全て自分の責任なんだと感じます。典型的な転落人生だなと感じ、社会に自分の居場所が無いように感じます。明るい未来に一歩踏み出すため、どうしたらこの思考を改善できますでしょうか??(どうしても赤裸々にお話したく、文脈から自意識過剰のように感じられたら申し訳ありません)どうかアドバイス頂けましたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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外見の美しさだけでなく、内面を見れる、見てもらえる あなたに
そう思うなら、もがきませんか。
この数年で、そんなに悲観的になってしまったのですね…。
社交的で周りから好かれていたのに。コロナ禍の間、なかなか会えないにしても、あまり自分から連絡をとったり、やり取りをしていなかったのかしら。人を優劣で見る人は、男女問わずいますけれど、そんな人とは付き合わなければいい。そんな人たちを除けば、私には誰もいなかったということでしょうか。
社交的でも、表面的なお付き合いをしてきたのかもしれませんね。人間関係を築いていくというのは、人の内面を見て、その良さをちゃんと認めていける関係のことです。そうして、人の見る目を養っていくものですよ。
外見の美しさだけでなく、内面を見れる、見てもらえる あなたになりましょうね。
誰だって、一日一日老いていくのですから。そこを嘆いたって仕方がありません。
コロナ禍で数年引き篭もっていただけで、この世の終わり、転落人生ですか…。
今を悲観していると、何事も後悔に思えてしまいます。
だったら、もがきましょうよ。
以前の自分に戻そうと思うのではなく、(時が過ぎているのだから過去には戻りません)これからどういう自分になりたいのか、未来を描いていきませんか。
あなたの年齢で引っ掛かっていたら、私はどうなるのでしょう。
あなたの人生の先を歩いている人、目指す人、尊敬できる人、輝いている人。そんな人を観察してみましょう。美貌や結婚だけではないわ。今の自分を受け入れながら、周りに流されず、周りの目や評価を気にせず、ちゃんと大切にしたい何かを持っているものですよ。そんな人から、良き刺激を受けてみませんか。
水を汲み出していく習慣を。
拝読させていただきました。
「責任感が強い」傾向を伺います。
それは自分への目的や意識していたことに達せなかったときに罪悪感が訪れてくる感じです。
自意識過剰ではなく、「こうで有らなければならない」という気持ちを少しずつ手放していくことに意識を向けていくことが今は大切な時期であり、現在の心境からの出口となる機縁となります。
仏教の根底には世間同様でありますが、『諸行無常』です。同じ事象を留めることはなく、常々変化し続けているのが現実であり、真理なのです。
と、いうことは。現在の悩ましている苦悩も変化していくという原理です。いわゆる厳しい冬は続かず、気持ちを少しずつ変えていくことで心にも穏やかになっていきます。
ここで肝心となるのが、「過去の自分と比較してはならないこと。」それは当たり前の如く、過去に戻れることはないからであり、過去を思いやることは『執着』と捉えるのが仏教の本質となります。
釈迦はこのように過去を説きます。
『汝よ。水を汲み出したならば舟は軽やかに進むであろう。』
ここでの舟は自分自身の心です。水は煩悩を表します。
現実に舟に水が入れば入るほど舟は沈みます。人の精神も同様であり、心が重たければ何をしても楽しめなく前に進みにくいものです。
"過去にこだわらないことにこだわる"手放す勇気が気持ちを楽にしていく方法なのです。
わかってはいるけど、そう簡単には行かないのも人の心です。
しかし、楽になるために豊かになるために、過去にとらわれない自心を形成するためには、自らに戒めを持ち、『責任感が強い』善い性分を自分自身に利用していくことが得策です。
世間の人々も同様にコロナ禍では婚期も含め、さまざまな煩悶に期したことです。しかし、変えていくしか仕方がないことは過去を思いやらず"今から"が何より新しい人生に変えていくのです。
何をするにしても遅いということはひとつもないことを信じてください。
思い通りに行かない人生にこそ、悩みはあるけれども智慧が生まれるのです。
合掌
質問者からのお礼
法源様 中田三恵様
お忙しい中お返事を頂き本当にありがとうございます。自分で書いた相談を読み返すと、なぜこんなに深刻に悩んでいるのだろうと恥ずかしくなりました。でもこんな相談にも真摯に心のこもったお言葉を頂けたこと、本当に嬉しく、感激しております。お二方のご意見、どちらもごもっともで、参考になることばかりです。気持ちが落ち込みそうになったら読み返し、過去を振り返らず、未来に向けて気持ちを切り替えていきたいと思います。また機会がございましたら、その際はどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。