子供の性的マイノリティについて
不登校の中3の長男についてご相談させてください。
現在不登校6年目。学校に行かない選択は親としてはもうとっくに受け入れて、毎日穏やかに過ごしています。
ですが、先日長男から、性的マイノリティについての相談?カミングアウト?がありました。
女の子が好きとか男の子が好きとか、そういう気持ちはまだわからないが、もしあと1ヶ月で死んでしまうとしたら、かわいいドレスが着たい。かわいい物が好き。女の子になりたい。体の手術はしたくない。と話してくれました。
これから男としてか女としてかどちらで生きていくのかは決めていないそうです。
驚きはしましたが、本人にはその素振りは見せないように努め、どんな時も味方でいると伝えました。
ですが正直親として、何をしてあげられるのか全くわからず、ただ見守っているだけの毎日です。
どのような気持ちで生きているのか、辛いのではないか、本当は服装等もかわいい物を身につけたいのかな、等一人悶々と考えてしまいます。
当事者の方のお気持ちを伺って、少しでも長男の気持ちを理解したいです。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
マイルールや立場を❝わする(忘る)❞ことによって❝和する❞
もちろんそれを肯定してあげることも大事でしょう。
他の方の回答があればそれもご参考になさってください。
仏教的に、と申しましょうか。
この世の真実の道理として、という目線でお話をいたします。
「私たち人間はいつも性別を忘れている事実がある」という視点を大事にするべきであると思います。
私が修行した道場も男性限定でしたが、中には性的マイノリティの方もおられました。尼僧さんや女性とお話をする際も男女の分別のないままに話します。男性同士であっても、立場を意識したり、男女であっても性別を意識すると隔て心理が生ずるものです。
「※男女の見解を離れることを不邪淫戒という。」曹洞宗師家原田雪渓老師談
大事な真理をお伝えします。
「私たちはいつもこの真新しい❝今❞という世界にある。まるで秒めくりカレンダーみたいに、いつも新しい時を迎えてながら、生まれたてのフレッシュな世界にあり続けている。そこには人のルールが立ちあがりません。そのフレッシュな今という時はさっきまでのこともありません。だから、お互いの立場も忘れて人間ルールも洗い流されている。お互いの心理状態も先ほどの状態から離れている。だから、たとえ相手が男女、どちらの性別であっても、いま新たに会話が始まっている。」と見つめてみてください。
私は子供たちとお話しするときには、立場を捨ててお話しします。
先ほどはたまたま近くを通った共産党員さん?と話をしましたが、政治的な立場もなしにお話をしました。飼っているひよこやニワトリと仲良くするには立場や人間の条件付けを捨てます。
簡単に言えば、人は誰かと仲良くなっているときって、自分の立場とか相手の立場とかがありません。
たとえ、わが息子、わが娘であっても、わが子に変わりはないはずです。
親が親という立場をガチガチに捨てずに接すれば親子はガチガチになります。
親が無我、無心、無構え、無ルール、無私で立場を手放せているときであれば、たとえ誰であっても、人と人として会話ができているはずです。
「立場を忘ずる」ということは、お互いが水になるようなものです。
海がどんな川の水でも隔てず和するように、立場を「わする(忘す)」ことによって「和する」のです。
日頃親子で仲良くしている時、それは自然にできている、出来ていたはずです。
あなたがわが子にこうあってほしい…を「わする」ことです。
6年間を振り返って下さい
アロちゃんさん子育ては悩みが多く大変ですね。私も子を持つ親として他人事ではありません。ご自愛ください。
さて、あなたは6年間、長男さんと意志疎通は行っていましたか?何の前触れもなく、ジェンダーのことを語ったのですか?もし、長男さんがジェンダーなら幼い頃からそれなりの仕草さや行動にあったと思います。引きこもり6年間に何もなかったわけありません。そこを見ておりませんか?
私は先ずは見守りが必要ですよね。長男さんが着たい服があるなら、一緒に買いに行きましょう。外出する理由が出来ましたね。何はともあれ一歩前進したと思います。
これからは一歩一歩前進するために行動一つ一つを観察しましょう。引きこもりは無関心が理由の一つだと思います。
百尺の竿頭一歩を進む。一歩を進める勇気をあなたが持ち、家族が持ち、分からないことは行政や専門家、NPO法人に頼りましょう。あなた自身が孤独にならないようにしてください。自分を追い込まないで下さい。