hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

人間死んだら終いなのかな…

回答数回答 2
有り難し有り難し 21

主人が進行性癌で亡くなりました。主治医は治療中はとても熱心で良く気にかけて下さって感謝でいっぱいでした。
しかし在宅医療を勧められ自宅療養中に悪い状態で再入院した時に心無い言葉を言われ、夜遅くに亡くなった時は駆けつけて下さって見送りもさせてもらうと言っていたにも関わらず、死亡診断書だけ完成させて何も言わずに帰っておられました。良くして下さって感謝の気持ちでいっぱいだった分ショックと言うか「人間死んだらもう無関心??」って思いが取れません。
自分でも自分のそんな考え方が良くないと分かっているんですが…。
どうか良いお知恵をお貸し下さい。

2023年5月16日 14:26

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お悔やみ申し上げます。
南無阿弥陀仏
さて、お医者さんの事情や気持ちは私には計り知れません。
ただ、お医者さんのことを気にするよりも、亡くなられた夫さんが浄土で病の苦しみもなく安らかであることを信じましょう。
あなたを見守っていることを信じましょう。
夫さんもそれを望んでいると思いますよ。
お医者さんには他の治療の必要な方に集中してもらいましょう。
そして私たちお坊さんと共に夫さんが安らかであることを祈りましょう。
合掌

2023年5月16日 15:33
{{count}}
有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
このお坊さんを応援する

お医者さんは大きな責任と常にたたかっています

御主人様の御冥福をお祈り申し上げます。
大きな病気や結果的に治らなかった病気を経験した患者さんや家族は、お医者さんの言動に違和感を持ったり傷ついたりすることがよくあります。もちろん、お医者さん個々人のパーソナリティもありますが、ほとんどのお医者さんは患者さんのことを第一に考え何とか治療したいと思っておられます。
一方で、人間の生死に直結するかもしれない環境に常に直面しているお医者さんは、とても大きな責任と常にたたかっています。
お医者さんにとって病気は「治ったらいいな」「治ってほしいな」というものではなく、「治す」ことが要求されています。そのために専門的な知識と技術を習得されていますが、同時にそれは「この病気は治らない」「もう治す方法がない」ということをあらかじめ知ってしまう場合もあるということです。
患者や家族は「何としても治りたい」と思っていますから、お医者さんが希望的観測を言ってくれなかったり、他所で聞いてきた施術をしてくれないことに不満を感じることも多いです。しかしお医者さんは当然の責任として、治らないものを治りますとは言えませんし、やっても効かないとわかっている治療方法を患者さんに施すこともできません。
これはお医者さんが、本来患者さんへ向けている「治してあげたい」という素朴な思いとは別の側面で守らなければならないものです。
患者さんや家族の方と対面してお話している時には、もともとの「治してあげたい」という気持ちが現れていても、切迫した局面では専門家としての態度を取らなければならない責任があります。その両面の言動が、他人からは矛盾しているように見えることもあります。
もうひとつ、患者や家族は互いに唯一無二の存在ですが、お医者さんにとっては常に複数の患者さんと家族の方に接してる、その中のひとつの関係であるという事情もあります。
個別の患者さんやその家族の方と同じように悲嘆の感情にとらわれていては、他の患者さんや家族の方への対応が難しくなります。個人的な感情に反しても、ある線で情緒的な面は割り切らなければならないのも医者さんに求められている責任です。
お医者さん自身もそういった矛盾するような振る舞いをせざるをえないこととたたかっています。そうお考えになってみてはいかがでしょうか。

2023年5月18日 7:20
{{count}}
有り難し
おきもち

新潟県上越市、龍興山宗恩寺住職。
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

早速の有難いお言葉有難うございます。
ご住職様の仰る通りですね。
今私に出来ることは…
主人が悪い所をこの世で全部無くならせてあの世で安らかに成仏してくれることを願うことですね。
人を憎むと言うか恨む心を持つ為に主人は亡くなったんじゃないですもんね。
ご住職様に良いお知恵をお貸し頂いて感謝です。

百目鬼洋一様
回答して頂き、有難いお言葉有難うございます。
ほんとにご住職様の仰る通りです。
何の仕事でもそうですが、
医師は特に常に気が休まる事がない、特に生死を直面する、大変と一言では言ってはいけないと思いますが、大変だと思います。常に感情に流されず冷静な判断が出来る状態を保たないといけないですよね。
もしかすると、遺族の私よりも悲しんでおられるかもですね。
主人の為にほんとに熱心に諦めず治療をして下さった主治医に恩を恨みで返すのではなく、感謝の気持ちで返さないと、主人も安らかに成仏できないと思いますし、私自身も温かい心を持った人間らしさが無くなってしまうと思います。
改心して、心から主人へ安らかに…の思いと、主治医へ感謝したいと思います。
良いお知恵をお貸し下さって、有難うございました。

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 14
回答数回答 3

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ