人間死んだら終いなのかな…
主人が進行性癌で亡くなりました。主治医は治療中はとても熱心で良く気にかけて下さって感謝でいっぱいでした。
しかし在宅医療を勧められ自宅療養中に悪い状態で再入院した時に心無い言葉を言われ、夜遅くに亡くなった時は駆けつけて下さって見送りもさせてもらうと言っていたにも関わらず、死亡診断書だけ完成させて何も言わずに帰っておられました。良くして下さって感謝の気持ちでいっぱいだった分ショックと言うか「人間死んだらもう無関心??」って思いが取れません。
自分でも自分のそんな考え方が良くないと分かっているんですが…。
どうか良いお知恵をお貸し下さい。
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お悔やみ申し上げます。
南無阿弥陀仏
さて、お医者さんの事情や気持ちは私には計り知れません。
ただ、お医者さんのことを気にするよりも、亡くなられた夫さんが浄土で病の苦しみもなく安らかであることを信じましょう。
あなたを見守っていることを信じましょう。
夫さんもそれを望んでいると思いますよ。
お医者さんには他の治療の必要な方に集中してもらいましょう。
そして私たちお坊さんと共に夫さんが安らかであることを祈りましょう。
合掌
お医者さんは大きな責任と常にたたかっています
御主人様の御冥福をお祈り申し上げます。
大きな病気や結果的に治らなかった病気を経験した患者さんや家族は、お医者さんの言動に違和感を持ったり傷ついたりすることがよくあります。もちろん、お医者さん個々人のパーソナリティもありますが、ほとんどのお医者さんは患者さんのことを第一に考え何とか治療したいと思っておられます。
一方で、人間の生死に直結するかもしれない環境に常に直面しているお医者さんは、とても大きな責任と常にたたかっています。
お医者さんにとって病気は「治ったらいいな」「治ってほしいな」というものではなく、「治す」ことが要求されています。そのために専門的な知識と技術を習得されていますが、同時にそれは「この病気は治らない」「もう治す方法がない」ということをあらかじめ知ってしまう場合もあるということです。
患者や家族は「何としても治りたい」と思っていますから、お医者さんが希望的観測を言ってくれなかったり、他所で聞いてきた施術をしてくれないことに不満を感じることも多いです。しかしお医者さんは当然の責任として、治らないものを治りますとは言えませんし、やっても効かないとわかっている治療方法を患者さんに施すこともできません。
これはお医者さんが、本来患者さんへ向けている「治してあげたい」という素朴な思いとは別の側面で守らなければならないものです。
患者さんや家族の方と対面してお話している時には、もともとの「治してあげたい」という気持ちが現れていても、切迫した局面では専門家としての態度を取らなければならない責任があります。その両面の言動が、他人からは矛盾しているように見えることもあります。
もうひとつ、患者や家族は互いに唯一無二の存在ですが、お医者さんにとっては常に複数の患者さんと家族の方に接してる、その中のひとつの関係であるという事情もあります。
個別の患者さんやその家族の方と同じように悲嘆の感情にとらわれていては、他の患者さんや家族の方への対応が難しくなります。個人的な感情に反しても、ある線で情緒的な面は割り切らなければならないのも医者さんに求められている責任です。
お医者さん自身もそういった矛盾するような振る舞いをせざるをえないこととたたかっています。そうお考えになってみてはいかがでしょうか。
質問者からのお礼
早速の有難いお言葉有難うございます。
ご住職様の仰る通りですね。
今私に出来ることは…
主人が悪い所をこの世で全部無くならせてあの世で安らかに成仏してくれることを願うことですね。
人を憎むと言うか恨む心を持つ為に主人は亡くなったんじゃないですもんね。
ご住職様に良いお知恵をお貸し頂いて感謝です。
百目鬼洋一様
回答して頂き、有難いお言葉有難うございます。
ほんとにご住職様の仰る通りです。
何の仕事でもそうですが、
医師は特に常に気が休まる事がない、特に生死を直面する、大変と一言では言ってはいけないと思いますが、大変だと思います。常に感情に流されず冷静な判断が出来る状態を保たないといけないですよね。
もしかすると、遺族の私よりも悲しんでおられるかもですね。
主人の為にほんとに熱心に諦めず治療をして下さった主治医に恩を恨みで返すのではなく、感謝の気持ちで返さないと、主人も安らかに成仏できないと思いますし、私自身も温かい心を持った人間らしさが無くなってしまうと思います。
改心して、心から主人へ安らかに…の思いと、主治医へ感謝したいと思います。
良いお知恵をお貸し下さって、有難うございました。