考えたところでしょうがない事
いつもお世話になっております。私には、この世の中で許せない
事が二つあります。
一つ目、障害者があまりにものさばっている。
有難いことに、一昔前に比べると、私たちに対するご理解が進んで
きました。しかし、当事者側は、健常者さんが
「今までわからなくてごめんなさい」
と頭を下げたのをいい事に、
「お、謝ったな?頭下げたな?じゃあお前ら、何でもうちらの
言う事聞くよな?」
という態度に出ています。
私の支援者さんは誠実な人ばかりですが、中には、
「要求をいかに通すかが大事」
「健常者は君たちの敵だ」
などと障害者に吹き込んだり、障害者割引に対応していない博物館
などで、
「なんで引いてくれねえんだよ!」
と騒ぐ支援職員もいます。受付係の態度が悪かったから~などと
笑っていました。
そして、障害者の傲慢の影響は、意外な所にも悪影響を及ぼして
います。創作業界さんです。「表現規制」という言葉を聞いた
ことがおありかと存じます。漫画やアニメ、ドラマなどで、
「この表現は、障害者を侮辱している!」
などと言って、表現の自由を侵害するのです。
二つ目は、宗教界の傲慢と堕落。私はこちらでも散々騒いで
いるので、おわかりの先生もいらっしゃると思います。
「かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祇を
あがめつつ ト占祭祀つとめとす」
が横行しているのです。霊能者などがテレビに登場して、お寺や
仏教が利用され、オカルトブームが来ました。オカルトと仏教は
別物なのに、
「世の中には、科学じゃ説明できないことも多いからね~」
と脳死した人たちがお寺に集まり、お守りやお札をジャラジャラ
下げ、お寺もオカルトブームに乗って商売をした結果、もたらされ
たのは、宗教に対する誤解。
「宗教を信じている奴は、現実を見ない怠け者の陰謀論者」
という認識が広まったのです。
仏教は、科学を否定しないはずです。それが、特に有名寺院
が筆頭となり、オカルトを煽りました。
でも、私にはこの情勢を変えることはできません。言ったところ
で仕方ない事です。私の話を聞いた力ある誰かが、変えてほしいとも
思いますが、考えても、疲れるだけ。
どうして言いたくなってしまうのでしょう。考えれば疲れるので、
考えたくありません。ご高見を賜りたく存じます。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
周りがどうであれ、あなたが大事に思うことを大切にしていこう。
どうしても、悪い印象がついてしまうと、お寺は障害者はと一括りにして嫌悪感を抱いてしまいますね。それは、無理ないことだろうと思います。嫌だったイメージを払拭するには、良き出会いをすることですが、あなたの周りや環境では難しいのかもしれませんね。
違いを目にしたときに、正そうとする気持ちが起きるのは大事なことですが、そこには大変なエネルギーも使いますね。反対派から反発を買い、あなたが傷つくこともあるでしょう。
ですから、周りがどうであれ、あなたが大事に思うことを大切にしていきましょう。
それが一番、揺るぎないことなのですよ。
質問者からのお礼
【中田 三恵 先生】
お返事いただき、ありがとうございます。偏頭痛は大丈夫ですか?
私は、おととい2時間かけて病院まで行って訓練を受け疲れが
残っているところに、きのう長距離のウォーキングをしたので、
けさ8時前に起床しました。ゆうべ寝たの早かったのに…
先日、身なりの汚い知的障害者の集団がいたのが気に食わず、
近くの交番からお巡りさんをパシらせてしまいました。
お巡りさんには、申し訳なかったと思います。
また、よくお参りしていた寺が、あるとき霊能者を呼んで
講演をさせていました。この霊能者も、「ご篤信」だと
寺は喧伝していました。絶望しました。ばからしくなって、
それっきり行っていません。
近頃、私の友人が仏事に興味を示し始めたので、しっかりと
教え込んでおきました。
「霊感という言葉に騙されちゃダメ。あれは、仏教じゃない。
霊視とか、除霊とか、そういう神秘主義は仏教とは別物だから、
そういう事を宣伝しているお寺には行かないで。騙されるから」
「仏教は、物事や現象を、惑わされることなく冷静に分析して、
本質を見抜いて、科学的に解決していく教えだからね」
友人は、
「迷信多いんだ~」
と言っていました。
ともあれ、私は私のできる事をしようと思います。